一期一会の台所哲学 ~なぜ私たちは料理をするのか~
1. 終わりのない「キッチン・ループ」の中で
海外で暮らす主婦の皆さん、毎日本当にお疲れ様です。
異国の地で家族の健康を守り、日々の食事を作る。それって、言葉で言うほど簡単なことじゃないですよね。
正直に告白します。私自身、日本に住んでいて、慣れ親しんだスーパーや食材に囲まれているにもかかわらず、夕方4時くらいになると「はぁ……」と深いため息をついてしまうことがありました。
「今日の晩ごはん、何にしよう?」
「また玉ねぎを切るのか」
「昨日も作ったのに、今日も作って、食べて、片付けて、また明日が来る」
まるでハムスターが回し車を走っているような、終わりのないループ。キッチンに立つことが、クリエイティブな行為ではなく、単なる「処理作業(Task)」になってしまっていたんです。特に子供が小さかった頃や、仕事が忙しい時期は、料理は「こなすべき義務」でしかありませんでした。
皆さんも、そんな経験はありませんか?
現地の巨大なスーパーマーケットで、英語や現地の言葉で書かれたラベルを睨みながら、「これ、日本の調味料で代用できるのかな?」なんて悩みながら、カートを押す背中が少し丸まっている……。そんな自分に気づくこと。
でも、ある時ふと、茶道をやっている祖母の言葉を思い出したんです。それが、私のキッチンライフ、ひいては人生観を大きく変えるきっかけになりました。
2. 「一期一会」を再定義する
皆さんは**「一期一会(Ichigo-Ichie)」**という言葉、聞いたことがありますか?
海外でも “One time, one meeting” と訳されて、日本の禅(Zen)の精神として知られているかもしれませんね。
もともとは茶道の言葉で、「あなたとこうしてお茶を飲む機会は、一生に一度きりのもの。だからこそ、この瞬間を大切に心を尽くしましょう」という意味です。
でもこれ、もっと深い意味があるんです。
「また明日も会えるかもしれないけれど、『今のこの瞬間、この状況、この気持ち』で会うことは、二度とない」ということなんです。
私はそれまで、この言葉を「人との出会い」に限定して考えていました。
でも、祖母は言ったんです。
「お茶碗を洗うのも、大根を一本切るのも、すべてが一期一会だよ」と。
その時は「またまた、おばあちゃん大袈裟なんだから」と笑って聞き流していましたが、台所という戦場で疲弊しきっていた私に、その言葉がストンと落ちてきました。
今日のこのキッチンに差し込む夕日の角度は、今日だけのもの。
まな板に向かう私の体調も、今日だけのもの。
そして何より、目の前にある「食材」たち。彼らとの出会いこそが、まさに一期一会なんじゃないか、と。
3. 目の前のニンジンは、世界に一本だけのニンジン
例えば、あなたの冷蔵庫にある一本のニンジンを想像してみてください。
スーパーで束売りされていた中の一本かもしれません。でも、そのニンジンが種から芽を出し、土の中で育ち、農家さんの手を経て、はるばる海を越えたりトラックに揺られたりして、今、あなたのキッチンのまな板の上にいる。
これって、すごい確率だと思いませんか?
明日買うニンジンは、別のニンジンです。
昨日食べたニンジンは、もうここにはいません。
「今、ここにある」その食材と向き合うこと。
そう考えた瞬間、ただの「野菜を切る作業」が、急にドラマチックなものに思えてきたんです。
「あ、この子はちょっと形がいびつだけど、色が濃くて元気そうだな」とか、「今日は私の気分が少しイライラしているから、乱切りにしちゃいそうだけど、あえて丁寧に千切りにして心を落ち着かせようかな」とか。
これが、私が提案したい**「キッチンでの一期一会」**の入り口です。
これは単なる精神論ではありません。
食材を「モノ」として見るのではなく、「命あるもの」として、そして「二度と戻らないこの瞬間を共にするパートナー」として見る。この視点の転換(パラダイムシフト)が、料理の味さえも変えてしまうんです。
日本には八百万(やおよろず)の神という考え方があり、すべてのものに魂が宿ると考えます。針供養や筆供養のように、道具にさえ感謝する文化があります。
これをキッチンに持ち込むんです。
「義務感」で作る料理には、どうしても「雑さ」が混じります。
でも、「一回きりの出会い」と思って向き合う料理には、「丁寧さ」と「慈しみ」が宿ります。
不思議なことに、食べる人(家族)は、その微細なエネルギーの違いを敏感に感じ取るんですよね。「今日のごはん、なんか美味しいね」って言われる時は、大抵このマインドで料理できた時なんです。
4. マインドフルネスとしての調理時間
海外では「マインドフルネス(Mindfulness)」が定着していますよね。「今、ここ」に集中すること。
実は、日本流の「一期一会クッキング」は、最強のマインドフルネスの実践なんです。
瞑想をするために、わざわざ静かな部屋で座禅を組む必要はありません。
キッチンこそが、最高の道場(Dojo)になり得ます。
- 視覚: 野菜の鮮やかな色、断面の美しさを見る。
- 聴覚: トントントンという包丁のリズム、お湯が沸く音、油が跳ねる音を聴く。
- 嗅覚: 出汁の香り、焦げ目の香ばしさ、スパイスの刺激を感じる。
- 触覚: 水の冷たさ、食材の肌触り、温かさを手で感じる。
これら五感をフル活用して、「料理をしている今の自分」に没頭する。
そうすると、不思議なことに、頭の中を占領していた「明日の予定」や「昨日の失敗」といったノイズが消えていきます。
「忙しいから料理が面倒」なのではなく、「料理に集中していないから、心が忙しいまま」だったことに気づくのです。
一期一会の精神を取り入れると、料理は「時間の浪費」ではなく、「心のチューニング時間」に変わります。
5. 完璧を目指さない、という「一期一会」
ここで一つ、注意してほしいことがあります。
「一期一会だから、毎回完璧な懐石料理のような食事を作らなきゃ!」なんて、絶対に思わないでくださいね。そんなことをしたら、三日と持ちません(笑)。
一期一会には、**「不完全の美」**を受け入れる心も含まれています。
「今日はすごく疲れている。だから、冷凍うどんをチンするだけの食事になっちゃった」
それもまた、立派な一期一会です。
「疲れている私」という今の状態と、「手軽に温かい食事を提供してくれる冷凍食品」との、かけがえのない出会いです。
「今日は手抜きでごめんね」と罪悪感を持つのではなく、「今の私にできる精一杯がこれ。温かいうどんがあって本当にありがたいね」と感謝する。
その心の持ちようこそが、キッチンにおける一期一会の真髄です。
海外生活では、思うように日本の食材が手に入らなかったり、勝手が違って失敗したりすることもあるでしょう。
「日本だったらもっと美味しいお刺身が食べられるのに」とか「薄切り肉が売ってないなんて信じられない」と、**「ないもの」**を嘆いて比較するのは、一期一会の精神とは逆行してしまいます。
一期一会は、**「今あるもの」**を最大限に愛でること。
「この国のこの野菜、見た目は変だけど、煮込んだら意外といい出汁が出るじゃない!」
そんな発見を楽しめるようになると、海外でのキッチンライフは一気に色鮮やかになります。
6. 次のステップへ:概念から実践へ
ここまで、少し精神的なお話が中心になりました。
「考え方はわかったけど、実際どうすればいいの? 毎日の忙しさは変わらないわよ」と思われたかもしれません。
ご安心ください。
この「一期一会」の精神は、精神論だけで終わらせてはもったいない。
実は、非常に合理的で、日々の家事を劇的に効率化する**「実務的な戦略」**にもつながっているんです。
食材を「一期一会のパートナー」として扱うと、買い物の仕方が変わります。
スーパーマーケットでの動きに「意図」が生まれます。
そして、食材の命(鮮度)を最大限に活かそうとすることで、結果的に「作り置き(Batch Cooking)」の質が上がり、毎日の料理時間が短縮されるのです。
精神的な豊かさと、時間的な効率。
この二つは相反するものではなく、「一期一会」という軸でつながった時、驚くようなシナジーを生み出します。
次回の【承】パートでは、具体的なアクションプランに入っていきます。
スーパーマーケットという「出会いの場」で、どのように食材を選び、どのようにメニューを組み立てるのか。
漫然とカートを押すのではなく、スナイパーのように(笑)、あるいは宝探しをする冒険家のように、意図を持って買い物をするための**「Intentional Grocery Shopping(意図的な買い物術)」**についてお話しします。
あなたのキッチンの風景が、明日から少し違って見えるようになりますように。
食材との対話 ~スーパーマーケットは宝探し、意図のある買い物術~
1. スーパーマーケットは「戦場」ではなく「お見合い会場」
さて、前回は「キッチンでの一期一会」という心の持ちようについてお話ししました。今回はその実践編、**「お買い物」**についてです。
海外のスーパーマーケット、最初は圧倒されますよね。
倉庫のように高い天井、キロ単位で売られるお肉、見たこともない色の野菜、そして香水のように強い洗剤の匂い(笑)。
日本のような「小分けパック」や「至れり尽くせりの惣菜コーナー」がない環境で、私たちは日々、家族の胃袋を満たすためのミッションを遂行しています。
多くの人にとって、買い物は「リストにあるものを、いかに早く、安く回収してくるか」というタイムトライアル、あるいは戦場のようなものになりがちです。
でも、ここで「一期一会」のフィルターを通してみましょう。
私はスーパーマーケットを**「食材とのお見合い会場」**だと考えるようにしています。
リストに書かれた「人参、玉ねぎ、鶏肉」という文字情報の「モノ」を買いに行くのではありません。
今日、一番輝いている「命」に出会いに行くのです。
そう考えると、カートを押すスピードが少しゆっくりになります。
棚に並ぶ野菜たちの顔色が違って見えてくるんです。
2. 「メニューを決めてから行く」をやめてみる
ここで、海外生活における究極の日本的ライフハックを提案します。
それは、**「ガチガチにメニューを決めてから買い物に行かない」**ということです。
「えっ? 節約のためには買い物リストが必須でしょ?」と思われた方、その通りです。でも、ちょっと聞いてください。
日本のレシピ本を見て「今日は肉じゃが!」と決めて現地のスーパーに行っても、薄切り肉が売っていなかったり、じゃがいもが芽が出かけた古いものしかなかったりして、がっかりしたことはありませんか?
「ないもの」を探す買い物は、ストレスの源であり、一期一会の精神に反します。
日本料理には**「旬(Shun)」**という素晴らしい概念があります。
食材が最も生命力に溢れ、栄養価が高く、そして美味しい時期のことです。
「一期一会ショッピング」の極意は、**「旬の声を聞く」**こと。
売り場を歩きながら、向こうから「私、今が一番美味しいよ!連れてって!」とアピールしてくる食材を探すんです。
例えば、本当はブロッコリーを買う予定だったとします。
でも、隣にあるアスパラガスが驚くほど太くて瑞々しく、輝いて見えたら?
そこで予定変更です。「今日はあなた(アスパラ)にするわ!」と即決する。
メニューはそこから考えればいいんです。
「メニュー(思考)」が先ではなく、「食材(出会い)」が先。
これができるようになると、海外のスーパー特有の「欲しいものがない問題」から解放されます。
「あるもの」の中で最高のものを選び、そこから献立を組み立てる。これは、日本の懐石料理の料理長が毎朝市場でやっていることと同じ、プロフェッショナルの流儀なんですよ。
3. 異国の食材を「日本の目」で翻訳する
海外に住んでいると、「日本のあの野菜がない!」と嘆きたくなる瞬間が多々あります。
小松菜がない、長ネギがない、大葉がない……。
でも、ここでも一期一会です。目の前にある現地の野菜と向き合ってみましょう。
名前も知らない現地の葉物野菜があったとして、それを「知らないから買わない」と無視するのは、せっかくの出会いを放棄しているのと同じです。
私はよく、現地の野菜を**「日本の親戚」**に見立てて会話します。
- リーキ(Leek): 「あなたはちょっと太っちょだけど、要するに長ネギの従兄弟よね? じっくり焼いたら甘くなるでしょ?」
- ズッキーニ: 「イタリアン専用に見えるけど、実はナスと似たような性格よね? 味噌汁に入れても絶対美味しいはず」
- ケール: 「硬そうに見えるけど、ごま油と塩で揉んだら、日本の菜っ葉みたいにナムルになれるんじゃない?」
こうやって、異国の食材を「よそ者」扱いせず、「日本の知恵」で翻訳してあげる。
すると、現地の安くて新鮮な食材が、一気に和食の戦力になります。
「ないもの」をAmazonで高く取り寄せるのではなく、「今、目の前にある食材」の可能性を引き出す。
これこそが、海外生活を楽しむ「生活の知恵」であり、食材との幸せな一期一会です。
4. 「とりあえず買い」という失礼な行為
一期一会の精神において、最も避けるべきこと。
それは**「とりあえずカゴに入れる」**という行為です。
「安いから」「いつか使うかもしれないから」
そうやってカゴに入れた食材、冷蔵庫の奥でシナシナにさせてしまった経験、ありませんか?(私は何度もあります…ごめんなさい!)
一期一会とは、**「その瞬間を大切にする」ことですが、同時に「その後の関係性に責任を持つ」**ことでもあります。
食材を手に取った時、心の中でこう問いかけてみてください。
「私は今週、この子をちゃんと美味しく料理してあげられる時間と心の余裕がある?」
もし、答えが「No」や「Maybe」なら、棚に戻します。
「ごめんね、今の私にはあなたを活かしきれないわ。もっと素敵な人のところに行ってね」と心の中でお別れするのです。
これを私は**「Intentional Shopping(意図のある買い物)」**と呼んでいます。
すべての買い物に「意図」を持つこと。
「なんとなく」ではなく、「この日の夕食で、こういう風に料理して、家族を笑顔にするために」という明確なビジョンを持ってカゴに入れる。
そうすると、レジに並ぶ時のカゴの中身は、厳選された「精鋭たち」だけになります。
「余計なものを買わされた」という感覚がなくなり、「これからこの子たちと一週間過ごすんだ」というワクワク感が生まれます。
結果として、食品ロス(フードロス)が劇的に減り、食費の節約にもつながるのです。
5. レジ前の1分間瞑想
最後に、買い物の締めくくりとしての儀式をご紹介します。
レジの列に並んでいる間、スマホを見るのではなく、カートの中身をもう一度眺めてみてください。
色とりどりの野菜、パック詰めされたお肉、牛乳や卵。
これらが、あなたの家に来るまでの長い旅路を想像します。
どこの農場で育ったのか、誰が運んでくれたのか。
そして、これからあなたの手によって料理され、家族の血となり肉となる未来を想像します。
「よし、今週はこのメンバーでいくぞ」
「私のところに来てくれてありがとう」
そう心の中で呟いてから、お会計をする。
これをやるだけで、ただの「物質の購入」が、**「命のバトンタッチ」**という神聖な儀式に変わります。
レジの店員さんが無愛想でも、袋詰めが雑でも(海外あるあるですね)、あなたの心は穏やかなはずです。なぜなら、あなたはもう食材たちと「チーム」になっているのですから。
さて、素晴らしい食材たちとの「出会い(買い物)」は無事に終わりました。
家に帰ってからが、いよいよ本番です。
せっかく出会った新鮮な食材たち。彼らの輝きを失わせることなく、むしろそのポテンシャルを最大限に引き上げながら、忙しい平日を乗り切るための戦略が必要です。
冷蔵庫という「一時滞在場所」で、彼らをどうおもてなしするか?
次回は、私が実践している**【転】時間を味方につける ~鮮度を閉じ込める「作り置き」の魔法とバッチクッキング~**についてお話しします。
日本の「始末の心」と、海外の合理的な「ミールプレップ」を融合させた、目から鱗の保存術。
包丁を握る準備をして、お待ちくださいね!
時間を味方につける ~鮮度を閉じ込める「作り置き」の魔法とバッチクッキング~
1. 買い物から帰った直後の「運命の分かれ道」
スーパーマーケットから帰ってきた直後。ここが、私たち主婦にとって一番「しんどい」時間かもしれません。
重いエコバッグ(海外の袋、やたらと大きくないですか?笑)をキッチンカウンターにドスンと置いて、そのままソファに倒れ込みたい……。その気持ち、痛いほどわかります。
でも、ここでちょっと待ってください。
この瞬間こそが、食材との**一期一会の運命が決まる「ゴールデンタイム」**なんです。
多くの人は、買ってきたパックのまま冷蔵庫に詰め込みます。
これは言葉を選ばずに言えば、食材を「冷蔵庫という名の待合室(あるいは独房?)」に放り込むようなもの。
プラスチックのパックの中で、食材たちは呼吸ができず、刻一刻と鮮度(=命の輝き)を失っていきます。そして数日後、使う頃には「疲れた顔」をした野菜や、ドリップが出たお肉と対面することになります。これでは、料理へのモチベーションも上がりませんよね。
一期一会のキッチンでは、**「帰宅後30分」**を勝負の時間と考えます。
「ようこそ、我が家へ!」
そんな歓迎の気持ちを込めて、食材たちに最初の手当て(ケア)をしてあげるのです。
2. 海外流「ミールプレップ」の罠と、日本流「仕込み」の違い
海外のSNSなどで流行っている「Meal Prep(ミールプレップ)」や「Batch Cooking(まとめて作り置き)」を見ると、週末に大量のプラスチック容器に「完成した料理」を詰めて、冷蔵庫に積み上げている光景をよく目にします。
確かに便利です。平日はレンジでチンするだけ。合理的です。
でも、私はこれをやってみて気づきました。
「水曜日くらいから、食べるのが苦痛になってくる……」
ずっと同じ味。温め直した時の独特のにおい。野菜の食感はフニャフニャ。
これは「エサ」を食べているようで、「食事」を楽しんでいる感覚が薄れてしまったんです。
「一期一会」の精神とは、その瞬間のライブ感(Liveness)を楽しむこと。レンジで温め直しただけの4日前の料理に、ライブ感を感じるのは難しいですよね。
そこで私が提案したいのが、日本料理の知恵である**「仕込み(Shikomi)」**の概念を取り入れたバッチクッキングです。
目指すのは、「完成品」の保存ではありません。
「未来の私が、最短距離で『できたて』を作れる状態」での保存です。
そして何より重要なのは、**「保存している間に、鮮度が落ちるのではなく、むしろ美味しくなる」**という魔法のような仕掛けを施すことです。
3. 時間を味方につける魔法:「発酵」と「漬け」の力
食材を長持ちさせるというと、海外では「冷凍(Freezing)」が一般的ですが、これはあくまで「劣化を止める」ための手段として捉えられがちです。
でも、日本の知恵は違います。
**「時間をかけることで、食材を育てる」**のです。
ここで登場するのが、日本の伝統的な発酵調味料たちです。
醤油、味噌、酒、そして私が海外生活で最強のパートナーだと思っている**「塩麹(Shio-koji)」**です。
例えば、買ってきた鶏肉。
そのまま冷凍すれば、解凍した時にパサパサになります。
でも、一口大に切って、塩麹を少し揉み込んでから冷凍してみてください。
冷凍庫の中で眠っている間、麹菌の酵素(Enzymes)が静かに働き続けます。
お肉のタンパク質を分解して旨味成分(アミノ酸)に変え、繊維をほぐして驚くほど柔らかくしてくれます。
これは単なる「保存」ではありません。**「熟成(Aging)」**です。
1週間後に解凍して焼いた鶏肉は、買ってきた当日よりも、はるかに美味しくなっているんです。
「時間が経つ=悪くなる」という常識を覆す。
「時間が経つ=美味しくなる」。
こう考えると、作り置きが「義務」から「楽しみな実験」に変わりませんか?
「今週末仕込んだこのお肉、木曜日頃には最高の食べごろになってるはず…ふふふ」と、未来を待つワクワク感が生まれるのです。
4. 「半調理(Semi-cooked)」という余白の美学
一期一会の料理において大切なのは、食べる直前の「仕上げ」の工程です。
香ばしい香り、ジュッという音、湯気。これらを味わうために、私は**「9割まで準備して、最後の1割を平日の自分に託す」**スタイルをおすすめします。
これが**「半調理(Semi-cooked)」**です。
- 野菜類:完全に火を通さず、硬めに茹でるか、オイルでコーティングして生のまま冷蔵・冷凍します。使う直前にサッと炒め合わせることで、シャキシャキした食感(Texture)を残せます。
- 味付け:「完成形の味」にせず、あえて薄味にしておく、あるいは素材別に下味だけつけておく。そうすれば、その日の気分で「今日は和風にしようかな」「やっぱりトマトソースでイタリアンにしよう」と、最終的な味の着地点を変更できる**「余白」**が残ります。
この「余白」こそが、日々の料理における一期一会です。
「日曜日の私」が全てを決めてしまうのではなく、「火曜日の私」の気分が入る隙間を残しておく。
そうすることで、過去の自分と現在の自分が協力して料理を作っているような感覚になれます。
5. 食材の命を全うさせる「始末(Shimatsu)」の心
キッチンにおける一期一会を語る上で、外せない日本の言葉があります。
それが**「始末(Shimatsu)」**です。
現代では「後始末」などネガティブな文脈で使われることもありますが、本来は「物事の始まりと終わり(末)をきちんと整える」という、とても美しい言葉です。京都の商家の家訓などでも大切にされています。
食材における「始末」とは、**「その命を最後の最後まで使い切る」**こと。
海外のスーパーで売っている野菜、例えばブロッコリーやカリフラワー。茎(Stems)の部分、捨てていませんか?
大根の皮、剥いてそのままゴミ箱へ入れていませんか?
一期一会の精神で見れば、それらも「かけがえのない一部」です。
ブロッコリーの茎は、外側の硬い部分を削げば、中の芯はアスパラガスのように甘くて美味しい。
大根やニンジンの皮は、きんぴらにすれば最高のご飯のお供になる。
半端に残った野菜くずは、煮出して「ベジブロス(野菜だし)」にすれば、栄養満点のスープベースになる。
これを「節約(Saving money)」のためだけにやると、心が貧しくなることがあります。「ケチケチしている」と感じてしまうから。
でも、「食材への敬意(Respect)」として行う「始末」は、心を豊かにします。
「あなたの命、一片たりとも無駄にはしないわよ」
そんな気持ちで食材を使い切った時の、あの清々しい達成感。
ゴミが減り、冷蔵庫が綺麗になり、身体にも良い。
これぞ、究極の**「Kitchen Karma(キッチンのカルマ)」**を整える行為です。
6. 過去の自分から、未来の自分への「ラブレター」
最後に、私がバッチクッキング(仕込み)をする最大の理由をお話しします。
それは、「平日の忙しくて余裕のない私」を助けてあげるためです。
平日の夕方、仕事や育児でヘトヘトになって帰宅した時。
「あぁ、ご飯作るの面倒くさい…デリバリー頼んじゃおうかな…」
そう思う瞬間が必ずあります。
でも、冷蔵庫を開けた時。
綺麗に洗われてすぐ使えるレタス、下味がついて焼くだけのお肉、カットされた野菜たちが整然と並んでいたら。
それはまるで、日曜日の元気だった私が、
「大丈夫だよ!面倒なことは全部やっておいたから、あとは焼くだけだよ!」
と背中を押してくれるようなものです。
包丁もまな板も出さず、フライパン一つで5分で完成する、栄養満点の手料理。
一口食べた時、体に染み渡る美味しさと共に、過去の自分からの愛情を感じて、涙が出そうになることがあります。
作り置きとは、単なる家事の先取りではありません。
「未来の自分への思いやり(Compassion)」という名のラブレターなのです。
「一期一会」は、他人に対してだけでなく、自分自身に対しても向けられるべきもの。
今日の私が、明日の私を大切に想う。その連鎖が、日々の暮らしを穏やかで幸せなものにしてくれます。
さあ、冷蔵庫には「スタンバイOK」の食材たちが、出番を今か今かと待っています。
下準備という魔法をかけられた彼らは、あなたの手によってどんな料理に変身するのでしょうか?
次回、いよいよ最終章の**【結】**です。
キッチンという小さな場所から始まる、人生を豊かにする循環。
「いただきます」と「ごちそうさま」に込められた、日本人が大切にしてきた魂のメッセージについてお話しし、この一期一会の物語を締めくくりたいと思います。
あなたの食卓が、明日も笑顔で溢れますように。
それでは、また!
食卓から広がる人生観 ~「いただきます」に込められた感謝と循環~
1. 食卓という「一期一会」の最終地点
買い物をして、下準備をして、調理をする。
長い旅路を経て、ついに料理が食卓に並びました。
湯気の立つお味噌汁、艶やかなご飯、そしてあなたが愛情を込めて焼いたメインディッシュ。
家族が席につき、テレビの音が少し小さくなる。
この瞬間こそが、数々の偶然と必然が重なり合って生まれた、奇跡のような「一期一会」の最終地点です。
毎日当たり前のように繰り返される光景ですが、少し立ち止まって考えてみてください。
今日、家族全員が健康で、同じ場所に揃い、同じ食事を囲むことができる。
これは決して「当たり前」のことではありません。
明日、急な用事が入るかもしれない。誰かが風邪をひくかもしれない。子供たちが成長して家を出て行く日も、いつか必ず来ます。
「このメンバーで、この料理を囲むのは、宇宙の歴史の中で今この瞬間だけ」
そう意識した時、ただの夕食が、かけがえのない祝祭(Celebration)のように感じられませんか?
一期一会のキッチン・ジャーニーは、この儚くも美しい時間を心から味わうためにあったのです。
2. 「Bon Appétit」と「Itadakimasu」の決定的な違い
皆さんは食事を始める時、何と言いますか?
英語圏なら “Enjoy your meal” や “Bon appétit” が一般的でしょう。これらは「食事を楽しんでね」という、同席者へのポジティブな声かけです。
でも、日本では**「いただきます(Itadakimasu)」**と言い、手を合わせます。
一人で食べる時でさえ、私たちは小声でこう呟きます。
これは誰に向けた言葉なのでしょうか?
直訳すると “I humbly receive”(謙虚に頂戴いたします)。
ここには、二つの深い感謝の対象が含まれています。
一つは、**「食材の命」**そのものです。
肉も魚も、野菜も米も、もとはすべて生きていました。
彼らの命を絶ち、私の命へと変える。その厳粛な事実に対する、懺悔にも似た感謝です。
「あなたの命を私の命として引き継ぎます。だから、粗末にはしません」
という誓いの言葉なのです。
もう一つは、**「ここに至るまでに関わったすべての人や自然」**への感謝です。
種を蒔いた農家さん、海に出た漁師さん、運んでくれたドライバーさん。そして、彼らを育んだ太陽、雨、土。
顔も知らない無数の人々の働きと、大自然の恵みが、このお皿の上に集結している。
「いただきます」と手を合わせる時、私たちは自分たちが「巨大な命の循環(Circle of Life)」の一部であることを思い出します。
この感覚を持つと、食事は単なる「栄養補給」を超えて、世界との繋がりを感じるスピリチュアルな体験へと昇華されます。
3. 「ごちそうさま」に隠された「走り回る」という意味
そして、食事が終わった時の言葉、「ごちそうさま(Gochisosama)」。
漢字で書くと**「御馳走様」**となります。
「馳走(Chiso)」とは、昔の言葉で「馬に乗って走り回る」という意味です。
冷蔵庫もスーパーマーケットもなかった時代、客をもてなすために、人々は馬を走らせて海へ山へと食材を集めに行きました。
つまり、「ごちそうさま」とは、
「私のために、あなたがどれだけ走り回り、手間暇をかけてくれたか。その苦労(Hustle)と真心に感謝します」
という意味なのです。
これ、毎日料理を作る私たち主婦にとって、最高の賛辞だと思いませんか?(笑)
家族が言う「ごちそうさま」は、料理の味だけでなく、あなたの「見えない努力」すべてに向けられた拍手なのです。
そして何より、料理を作ったあなた自身が、自分自身に言ってあげてほしいのです。
「今日も私、よくやったね。家族のために走り回ったね。ごちそうさま」と。
一期一会の精神で丁寧に料理と向き合った日は、この「ごちそうさま」の響きが、いつもより誇らしく聞こえるはずです。
空っぽになったお皿は、あなたが今日という日を懸命に生きた証(Proof)なのですから。
4. 台所という「人生の道場(Dojo)」
こうして「起承転結」を通して台所仕事を見つめ直してみると、キッチンとは単なる調理場ではなく、**「人生を学ぶ場所(Life Dojo)」**であることがわかります。
- 変化を受け入れる心:思うような食材が手に入らなくても、あるもので工夫する柔軟性。これは、人生のトラブルに対するレジリエンス(回復力)に通じます。
- 不完全を愛でる心(Wabi-Sabi):形が悪い野菜も、少し焦げてしまった焼き魚も、その時だけの味わいとして受け入れる。これは、自分や他人の欠点を許容する優しさに通じます。
- 今ここに集中する心(Mindfulness):過去の失敗を悔やまず、未来の不安に怯えず、目の前の包丁さばきに没頭する。これは、ストレスフルな現代社会を生き抜くための最強の武器になります。
私の祖母はよく言っていました。
「台所を見れば、その人の生き方がわかるよ」と。
雑然とした台所からは、忙しない心が。
整理された台所からは、整った心が。
そして、楽しそうに料理をする台所からは、人生を楽しもうとするエネルギーが生まれます。
海外生活は、言葉の壁や文化の違いなど、思い通りにいかないことの連続かもしれません。
だからこそ、家の中の心臓部であるキッチンを、自分を取り戻せる「聖域(Sanctuary)」にしてほしいのです。
5. あなたの「一期一会」を始めよう
ここまで長い間、私のお話に付き合ってくださり、本当にありがとうございました。
「一期一会」なんて高尚な言葉を聞くと、何か特別なことをしなければならないように感じるかもしれません。
でも、ここまで読んだあなたなら、もうお分かりですよね。
特別な道具も、高い食材も、修行も必要ありません。
必要なのは、**「視点をほんの少し変えること」**だけ。
今日の夕方、キッチンに立つ時、まずは深呼吸を一つ。
そして、目の前の食材に心の中で「こんにちは」と話しかけてみてください。
「遠くからよく来たね」
「今日は美味しくしてあげるからね」
その小さな心の対話が、あなたの料理を、そしてあなたの毎日を、劇的に変えていくはずです。
世界にたった一つしかない今日の夕暮れ。
世界にたった一本しかないその野菜。
そして、世界にたった一人しかいない大切なあなた自身と、あなたの家族。
すべての出会いに感謝を込めて。
それでは、今日のブログはこの辺で。
また次の記事で、笑顔でお会いしましょう。
あなたのキッチンライフが、たくさんの「美味しい!」と「幸せ!」で満たされますように。
心からの愛を込めて、Hanakoより。

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