ピコン!鳴りやまない通知と、私の「ごちゃ混ぜ」な頭の中
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やっほー!こんにちは。日本でごくごく普通の主婦をしている、Aoi(あなたのお名前などに変更してくださいね)です。
突然ですが、あなたのスマホ、最後に「静かだな」って感じたのはいつですか?
私ね、ある朝、本当に目が回るような体験をしたんです。
朝6時。目覚ましを止めようとスマホを手に取った瞬間、画面がブワッと通知で埋め尽くされました。
「ピコン!」(LINEの友達から昨日のドラマの感想)
「ピコン!」(ニュース速報)
「ピココン!」(クレジットカードの利用確認)
「ブブッ」(インスタの「いいね!」)
「ピロン♪」(見てもいないYouTubeチャンネルのおすすめ動画)
……朝起きて、家族の「おはよう」より先に、スマホから「情報」のシャワーを浴びてる。
正直、うんざりしてたんですよね。
私たち主婦って、やることが無限にあるじゃないですか。
朝ごはんの献立、洗濯物の仕分け、子供の持ち物チェック、今日の特売情報、夜ご飯のレシピ検索……。
頭の中は常にマルチタスク。そんな中、スマホが「もっと見て!」「これも知っておいて!」「今すぐ反応して!」って、ひっきりなしに私を呼ぶんです。
レシピを検索しようと思ってブラウザを開いたら、昨日見ていた洋服の広告が追いかけてくる。
「あ、そうそう、あの服安くなってないかな」
ポチッ。
気づけば30分、ネットサーフィン。
「はっ!私、今何してたんだっけ? ……そう、大根の煮物!」
もう、頭の中がごっちゃごちゃ。
クローゼットが服で溢れかえって、何がどこにあるか分からない状態と全く同じ。
「情報メタボ」って、まさにこのことだなって。
海外で暮らしている皆さんも、きっと同じような経験、ありませんか?
日本から遠く離れていると、日本のニュースも気になるし、現地の情報もキャッチしなきゃいけない。家族や友達との連絡も、時差を気にしながらマメに取ったり。
私以上に、たくさんの情報をさばいている(処理している)んじゃないかなって思います。
そんな時、ふと思い出したんです。
日本に昔からある「禅」の考え方や、最近よく聞く「ミニマリズム」って、こういう「頭のごちゃごちゃ」を整理するための知恵なんじゃないかって。
「ミニマリズム」っていうと、
「モノを捨てること」
「がらんとした何もない部屋に住むこと」
ってイメージが強いですよね。私もそうでした。
でも、日本のミニマリズムの「本質」って、たぶんそこじゃない。
それは「捨てる」こと自体が目的じゃなくて、**「本当に大切なものだけを選ぶ」**っていう、すごく前向きな「選択」の哲学なんだと思うんです。
「量」より「質」を大切にする。
「意図的」に、自分の空間に招き入れるものを選ぶ。
「余白」をあえて作ることで、心の豊かさを感じる。
これって、私たちの日常生活……例えば、食器棚を整理したり、着ていない服を手放したりする時に、無意識にやっている感覚に近い。
そこで、私、決めたんです。
「このごちゃごちゃしたスマホ(デジタル生活)も、一つの『部屋』だと思って、本気で『大掃除』してみよう」って。
キッチンをピカピカに磨き上げた時みたいに。
クローゼットを整理して、お気に入りの服だけが並んだ時みたいに。
私のスマホの中も、本当に私を幸せにしてくれる情報や、心穏やかにしてくれる繋がりだけが残る、静かで「スッキリ」した空間にできるんじゃないか。
これは、モノを減らすだけの「断捨離(だんしゃり)」じゃなくて、私の大切な「時間」と「心」を守るための、新しい「人生術(じんせいじゅつ)」の始まりでした。
このブログでは、そんな私が「日本のミニマリズム」という古くからある哲学をヒントに、どうやってカオスだった「デジタル生活」を整えていったのか、具体的な実体験ベースでお話ししていこうと思います。
通知の嵐から解放されて、穏やかなデジタル空間を手に入れる――。
そんな「デジタルの禅」みたいな生活、一緒に目指してみませんか?
「量より質」って、クローゼットだけの話じゃなかった
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スマホの「大掃除」をしよう!
そう決意したのはいいんですが、いざスマホを目の前にすると、私、固まってしまったんです。
だって、どこから手をつけていいか、さっぱり分からない。
クローゼットの整理なら、簡単です。
「この2年間、一度も着ていないセーター」
「サイズが合わなくなったスカート」
こういう「物理的なモノ」は、ありがとう、さようなら、がしやすい。
でも、スマホの中身は「情報」や「繋がり」。目に見えないから厄介です。
「いつか使うかも」っていうアプリ。
「一応、繋がっておかないと不安」なSNS。
「読まないけど、解除するのが面倒」なメルマガ。
どれもこれも、「捨てる」ほどの決意が持てない……。
私、本当にうんざりして、スマホを放り出して、台所に立ったんです。
その日の夕飯は、シンプルな和食にしよう、と。
使い慣れた包丁で、トントントン、と大根を切る。
愛用の雪平鍋(ゆきひらなべ)で、コトコトと煮物を作る。
その時でした。
ふと、私、気づいちゃったんです。
「あれ? 私、台所では、とっくに『ミニマリズム』を実践してるじゃない?」
考えてみたら、私の台所って、モノで溢れかえってはいないんです。
結婚したての頃は、違いましたよ。
「便利そう!」って、100円ショップでいろんな形のピーラーを買ってみたり、「〇〇専用」みたいな調理器具を揃えてみたり。結果、引き出しはパンパン。どれも中途半端で使いにくい。
でも、主婦歴が長くなるにつれて、結局「一軍」だけが残っていきました。
切れ味抜群で、手入れもしている三徳包丁(さんとくぼうちょう)が一本。
どんな料理にも使える、深めのフライパンが一つ。
何十年も使える、お気に入りの鉄瓶(てつびん)。
たくさんの「そこそこ」なモノより、
一つの「本当にいい」モノを、大切に使い続けること。
これって、まさに「量より質」っていう、日本のミニマリズムの考え方そのものですよね。
ひるがえって、私のスマホの中はどうでしょう。
そこは、あの「結婚したての頃の、ごちゃごちゃした台所」とそっくりでした。
「無料だから」とダウンロードしたゲームアプリ。
「流行ってるから」と登録したSNS。
「お得かも」と登録した、大量のポイントカードアプリ。
どれもこれも、「質」で選んでいない。
ただ「量」が増えるに任せていただけ。
「私、スマホの中身を、『選んで』なかったんだ」
これが、一つ目の大きな気づきでした。
そして、もう一つ。
和室でぼーっとお茶を飲んでいた時のことです。
日本の「和室」って、不思議だと思いませんか?
特に、床の間(とこのま)。
あそこには、季節の掛け軸と、一輪挿し(いちりんざし)のお花がちょこんとあるだけ。
もしあそこに、家族写真も、子供のトロフィーも、旅行のお土産も、全部「これでもか!」って飾ったら……。
すごく、息苦しいですよね。
あえて何も置かない、「余白(よはく)」。
その「余白」があるからこそ、その一輪の花が、凛(りん)として美しく見える。
私たち日本人は、昔からこの「余白の美学(びがく)」を、無意識に知っているんだと思います。
じゃあ、私のスマホのホーム画面は?
……もう、和室に例えるのもおこがましい。
アプリのアイコンがぎっしり詰まって、壁紙なんてほぼ見えない。
「余白」ゼロ。
これじゃあ、心が休まるわけないですよね。
私が欲しかったのは、「便利なアプリ」じゃなくて、心を落ち着かせる「余白」だったんだ。
そして、この「余白」を奪う最大の犯人。
それが「通知」でした。
日本の家には、「玄関(げんかん)」がありますよね。
私たちは、家に上がる時、必ず玄関で靴を脱ぎます。
「お邪魔します」と一声かけて、家の「中(プライベートな空間)」に入れてもらう。
これが礼儀です。
なのに、スマホの通知は、どうでしょう?
玄関からじゃなくて、いきなり窓を突き破って、土足でリビングに上がり込んでくる感じ(笑)。
私が家族と話している最中でも、
料理に集中している最中でも、
「ピコン!」
「今すぐ私を見て!」
って、お構いなしに割り込んでくる。
これは、もう「礼儀」の問題です。
私は、私の「心の玄関」に、鍵をかけることにしました。
私が「どうぞ」と招き入れた情報だけが、入ってこれるように。
それ以外は、全部、お断り。
「量より質」(台所の道具のように、アプリも厳選する)
「余白の美学」(和室のように、ホーム画面に「何もない空間」を作る)
「意図的に招き入れる」(玄関のように、通知をコントロールする)
これこそが、日本のミニマリズムの哲学を、デジタルライフに応用する「核」なんだと、私は確信しました。
これは、単なる「片づけ術」じゃありません。
これは、情報という名の「ノイズ」から自分の人生を守り、
「今、ここ」にある大切なもの(家族の笑顔とか、大根の煮える匂いとか)
に集中するための、積極的な「選択」なんです。
よし、哲学は決まった。
私は、この3つの「ものさし」を持って、
あのカオスだったスマホ(情報のごちゃ混ぜの引き出し)に、
今度こそ、本気で向き合うことに決めたんです。
「何もしない」を選ぶ勇気。スマホを置いて、抹茶を点(た)ててみた
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さて、「量より質」「余白の美学」「意図的に招き入れる」という、日本古来のミニマリズム哲学。
この3つの「ものさし」を手に入れた私。
まるで伝説の剣を手に入れた勇者のように(大げさですね、笑)、「よーし!あの情報メタボなスマホをやっつけるぞ!」と意気込んだわけです。
でもね、現実はそんなに甘くなかった。
勇者の目の前に立ちはだかる、最初にして最大の敵。
それは……「もったいないお化け」でした。
まず私が手をつけたのは、ホーム画面の1ページ目から溢れかえって、フォルダにぎゅうぎゅう詰めにされていたアプリたち。
「これは……いつか使うかも」
(もう半年、開いてもいない電車の乗り換えアプリ)
「これは……無料だったし、消すのはもったいない」
(途中で飽きたパズルゲーム)
「これは……みんな使ってるし、一応ね」
(ほとんど見ていないSNS)
そして、最大の難関が「ポイントカードアプリ」の山!
海外の皆さんはどうですか? 日本は今、もう「なんでもアプリ」なんです。
ドラッグストアも、スーパーも、カフェも、全部アプリ。
「これを消したら、あの時100円損するかも……」
「せっかく貯めた38ポイントが……」
手が、止まる。
「捨てる」って、なんて勇気がいるんだろう。
私たち日本人に深く染み付いた「もったいない」精神が、デジタルな世界でも、こんなに強力に私を縛り付けていたなんて。
でも、そこで【承】で気づいた「台所の包丁」の話を思い出したんです。
「私は『捨てる』んじゃない。『一軍を選ぶ』んだ」と。
使わないポイントカードアプリは、私にとって「切れ味の悪いピーラー」と同じ。引き出しを圧迫しているだけ。
本当に毎日行くスーパーと、よく行くドラッグストアの2つだけ残す。
あとは、全部、えいっ!と削除。
……指が、ちょっと震えました(笑)。
でも、消した瞬間、ホーム画面に「ぽっかり」と穴が空いたんです。
そう、「余白」が生まれた!
これ、快感でした。
勢いに乗って、ニュースアプリも消しました。
だって、知りたいニュースは、自分で「検索」すればいい。
向こうから「これを読め!」と押し付けられる必要はないんです。
次に、第二の関門。「通知」です。
これは、私にとって「心の玄関」を守る戦いでした。
私は「鬼」になりました。
スマホの設定画面を開き、上から順番に、すべてのアプリの通知を「オフ」にしていったんです。
もちろん、LINEや電話、子供の学校からの緊急連絡用アプリなど、「私が意図的に招き入れる」と決めたもの以外は、全部。
「ピコン!」も「ブブッ」も、画面上部の「バナー」も、全部オフ。
あの、アプリアイコンの右上に付く「赤い丸(バッジ)」、あれも全部オフ!
これは、正直……怖かった。
「即レス(すぐに返事をすること)」が礼儀だと思い込んでいたから。
「返事が遅い、感じの悪い主婦」だと思われたらどうしよう。
「世の中から取り残される」んじゃないか。
そう、海外で暮らす皆さんなら分かるかもしれませんが、「FOMO(フォーモー)」(Fear of Missing Out:取り残されることへの恐怖)ですよね。
日本にいる私ですら、こんなに不安になるんだから。
そして、最大の敵。
そう、SNSです。
キラキラした日常、美味しそうなランチ、素敵なインテリア……。
見ていると「いいな」と思う反面、見終わった後、どっと疲れている自分。
「あの人はあんなに頑張ってるのに、私ときたら……」
無意識に、自分と他人を比べて、勝手に落ち込む。
もう、やめよう。
これは、私の「質」を高めてくれるものじゃない。
一番よく見ていたインスタグラム。
アプリを、長押しして……「Appを削除」。
……シーン。
私のスマホ、ホーム画面は1ページだけになりました。
並んでいるのは、カレンダー、天気、LINE、電話、カメラ、スーパーのアプリ。
それだけ。
あとは、ただ、お気に入りの「海の写真」の壁紙が広がっているだけ。
「余P白」だらけのスマホ。
正直、最初の3日間は、地獄でした(笑)。
手持ち無沙汰で、ついスマホに手が伸びる。
でも、開いても、見るものがない。
通知も来ない。
「……暇だ」
夫からは「さっきLINEしたのに、なんで見てないの?」と文句を言われる始末。
スーパーに行ったら、昨日までが特売日だったことを知る(ニュースアプリを消したから)。
「あーあ、やっぱり不便じゃないか」
「私、間違ったのかな」
心が揺らぎました。
でも、4日目の夕方。
「転機」は、本当に静かにやってきました。
いつものように台所で夕飯の準備をしていた時のこと。
トントントン、とキャベツを刻む音。
グツグツ、とお味噌汁の煮える音。
いつもなら、そこに「ピコン!」(どうでもいいニュース速報)とか、「ブブッ」(誰かのSNSの更新)が割り込んでくるはずでした。
でも、その日は、台所の「音」だけ。
すると、リビングで宿題をしていた息子が、ポツリと言ったんです。
「今日、学校でさ……」
いつもなら「ちょっと待って、今スマホ見てるから!」と、彼の言葉を遮(さえぎ)っていたかもしれません。
でも、その日は、スマホが静かだったから。
私は、キャベツから手を離し、彼の方をちゃんと見ました。
「うん、どうしたの?」
そこから、息子が話し始めたのは、学校の友達との、ちょっとしたトラブルのこと。
彼なりに悩んで、モヤモヤしていたこと。
私、聞いてあげられたんです。
彼の目をまっすぐに見て。
相槌を打ちながら。
スマホに邪魔されずに、ただ、息子の話だけを。
話終わった後の、彼の「ふぅ」っていう、ちょっと安心したような顔。
私、ハッとしました。
私、この顔を、見逃すところだったんだ。
スマホの通知に気を取られて、一番大切な「今、ここ」のサインを、どれだけ見逃してきたんだろう。
「情報」ばかり追いかけて、「日常」をおろそかにしていた。
その夜、私は、棚の奥にしまい込んでいた「茶筅(ちゃせん)」を取り出しました。
結婚祝いにもらったきり、ずっと眠っていた抹茶セット。
スマホをいじっていたであろう、夜の10分間。
あえて「何もしない」を選んで、お湯を沸かし、抹茶を点(た)ててみました。
シャカシャカシャカ……。
静かな部屋に、茶筅の音だけが響く。
苦いけど、温かい。
緑の香りが、鼻に抜ける。
頭の中が、すーっと静かになっていく。
これが、「余白」を手に入れるってことか。
情報を詰め込む「足し算」の生き方じゃなくて、
あえて「何もしない」を選ぶ「引き算」の人生術。
デジタル・ミニマリズムって、スマホを片付けることじゃない。
私の人生の時間割を、もう一度、自分の手に取り戻すことなんだ。
そう実感した瞬間でした。
「余白」だらけのデジタルライフ。私が手に入れた、一番大切なもの
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あの日、夜中に一人で点(た)てた抹茶。
あの苦くて、温かい一服から、私の「本当の」デジタル・ミニマリズムが始まったんだと思います。
今、私のスマホは、驚くほど「静か」です。
まるで、昔ながらの黒電話みたい(例えが古いかな?笑)。
私が必要な時に手に取り、私から電話をかけたり、情報を探しに行ったりする。
でも、向こうから私を「呼びつける」ことは、もうありません。
あれだけ怖かった「FOMO(取り残される恐怖)」は、どうなったか?
不思議なことに、消えちゃったんです。
むしろ、逆。
私は今、「JOMO(Joy of Missing Out)」――つまり、「取り残されることの喜び」を感じています。
どういうことか?
私が「取り残された」のは、
どうでもいい芸能ニュースや、
誰かのランチの写真や、
「今だけお得!」と私を焦らせる広告。
それらを「Joyfully(喜んで)」手放した結果、私が「取り残されなくなった」もの。
それが、
息子の、ちょっとした表情の変化。
夫の、仕事終わりの疲れた声のトーン。
窓から差し込む西日が、畳の上でゆっくりと動いていく様子。
雨が降り出す前の、土の匂い。
そう、「今、ここ」にある、私の人生そのもの。
私は、世の中の「情報」から取り残されることを恐れるあまり、
自分の「日常」から、取り残されていたんです。
海外で暮らしている皆さん。
きっと、私なんかよりもずっと、デジタルな「繋がり」を大切にしていると思います。
遠く離れた日本の家族や、現地の学校、コミュニティとの連絡。
スマホは、まさに「命綱」ですよね。
だから、私がお伝えしたいのは、「全部やめよう!」ということじゃ、もちろんありません。
思い出してほしいんです。あの「台所の包丁」の話を。
「量より質」
これは、人間関係にも言えるんだって気づきました。
以前の私は、100人のSNSの「友達」に「いいね!」をばらまくことに、どこか安心感を覚えていました。
でも今は、違います。
通知をオフにしたことで、LINEの返事は遅くなったかもしれない(笑)。
でも、その代わり。
遠くに住む両親とビデオ通話をする時は、パソコンの前にまっすぐ座り、他のことは一切しない。
ただ、画面越しの両親の顔を見て、声を聞く。
「ながらスマホ」で聞いていた1時間より、
集中した「たった10分」の方が、ずっとずっと心が通うんです。
これぞ、繋がり(Connection)の「質」。
日本のミニマリズムって、
「モノを捨てる」ことじゃなくて、
「何もない部屋」で暮らすことでもなかった。
それは、
「自分にとって、本当に価値のあるものは何か?」
を、絶えず自分に問い続ける「姿勢」そのもの。
そして、それ「以外」のものを、勇気を持って手放していく「人生術」でした。
それは、日本に古くからある**「足るを知る(たるをしる)」**という言葉に、そっくりです。
「もう十分、私は持っている」と知ること。
私には、追いかけるべき「新しい情報」は、そんなに必要なかった。
私には、すでに「大切な日常」が、ここにあった。
私のスマホは今、「余白」だらけです。
でも、私の心と、私の時間には、「豊かさ」が戻ってきました。
スマホをいじっていた時間で、新しいレシピに挑戦してみたり、
ずっと読みたかった分厚い本を開いてみたり、
ただ、ぼーっとお茶を飲んで、窓の外の雲の流れを眺めたり。
人生って、たぶん、こういう「何でもない」時間の積み重ねなんだと思います。
このブログを読んでくれている、あなたへ。
今日、全部を消す必要はありません。
まずは、夜寝る前の15分だけ、スマホを別の部屋に置いてみませんか?
一番どうでもいい(笑)ニュースアプリの通知を、一つだけオフにしてみませんか?
ホーム画面に、アプリを置かない「余白」のスペースを、一行だけ作ってみませんか?
そこから、あなたの「デジタル・ミニマリズム」が始まります。
情報に振り回されるんじゃなく、情報を「使いこなす」。
「静かで、豊かな」日常を、私たち主婦の手で、取り戻しましょうよ。
あなたの毎日が、たくさんの「質の高い」時間で満たされますように。

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