海外の「Hi」と日本の「こんにちは」は別物? 日本在住主婦が明かす、挨拶に隠された「空気を読む」人生術

「こんにちは」は魔法の言葉? 挨拶一つでわかる日本の「距離感」

やっほー! 海外で子育てや生活に奮闘中の皆さん、こんにちは! 日本で二児の母をやっている主婦のAmiです。

突然だけど、皆さんは海外で暮らしていて「あれ、日本の常識と全然違う!」ってカルチャーショックを受けたこと、たくさんありますよね?

私も昔、短期留学してた時に、スーパーのレジで店員さんに「Hi, how are you?」って聞かれて、「え、今ここで私の体調を?」って戸惑ったクチです(笑)。

あっちの「How are you?」は、日本の「いらっしゃいませ」とか「いいお天気ですね」くらいの、会話のキャッチボールを始めるための「球」みたいなものだって、後から知りました。

最近、ネットでこんなフレーズを見かけたんです。

“Ever wonder if saying ‘hi’ means the same thing everywhere?”

(「ハイ」って言うのが、どこでも同じ意味だと思う?)

いやー、ほんとそれ!

海外ドラマなんかを見ていると、ハグしたり、握手したり、頬を寄せ合ったり、もう挨拶がフィジカル! コミュニケーション!って感じがしますよね。

それに比べて、日本の挨拶って、基本「お辞儀」。

フィジカルな接触は、ほぼゼロ。

でもね、海外生活を経験した今だからこそ、そして日本で「主婦」として、「母」として、地域コミュニティの中で生きている今だからこそ、強く思うんです。

日本の「こんにちは」って、海外の「Hi」とは、まったく別物の、ものすごーく深くて、ちょっと面倒くさい(笑)、でも面白い「人生術」が詰まった言葉なんだって。

今日は、私たちが毎日何気なく使っている「こんにちは」という挨拶を深掘りしてみたいと思います。これ、日本の「社会の考え方」や「人間関係の築き方」のヒントが満載なんですよ。


「こんにちは」の使い分け、意識したことありますか?

まず、海外の「Hi」や「Hello」って、めちゃくちゃ便利じゃないですか?

朝でも昼でも夜でも、相手が上司でも友達でも、とりあえず「Hi!」で始められる。もちろん、TPOで「Good morning」とか使い分けるけど、「Hi」の汎用性はすごい。

じゃあ、日本は?

「おはようございます」

「こんにちは」

「こんばんは」

はい、まずここで「時間」という壁が立ちはだかります(笑)。

朝、子供を幼稚園に送っていく時。

だいたい9時前だから、ママ友には「おはよー!」。先生には「おはようございます!」。これはセーフ。

問題は、その帰り道。

スーパーに寄って、時計を見たら10時半。

ご近所さんとすれ違いました。

さあ、なんて挨拶しますか?

「……(お、おはようございます…?)」

「……(こ、こんにちは…?)」

迷いません?

私はめちゃくちゃ迷います!

10時半って、「おはよう」なのか「こんにちは」なのか、ジャッジが難しい!

相手が今起きたばかりの雰囲気なら「おはようございます」がしっくりくる。

でも、相手がすでにバリバリ活動してる感じだったら「こんにちは」の方がいい気がする。

この「迷い」こそが、すでに日本のコミュニケーションの第一歩なんです。

つまり、「相手は今、どういう状況だろう?」と瞬時に察しようとする文化。

海外なら「Hi!」で一発なのに、日本人はわざわざ「時間」という共通の物差しを持ち出して、「今、私たちは同じ『午前中』にいますね」とか「もう『お昼』の時間帯ですね」って確認し合うんです。

これって、単に時間を告げているんじゃなくて、「あなたの時間軸に、私の時間軸を合わせますよ」という、**無意識の「思いやり(Omoiyari)」**なんじゃないか、と私は思うんです。

自分の「言いたいこと」を言う前に、まず「相手の状況」を推し量る。

この「ワンクッション」を置く文化が、挨拶の時点から始まってる。

この前、朝寝坊しちゃって、11時半頃に慌ててゴミ出しに行ったんです。そしたら、お隣の奥さんとバッタリ。

私は完全に「今起きました」っていう顔(笑)。

お隣さんは、にっこり笑って「おはようございます」。

あぁ、優しい…!って思いました。

もしここで「こんにちは」って言われてたら、「もうお昼ですよ(早く起きなさい)」っていう無言のプレッシャーを感じていたかもしれない(考えすぎ?笑)。

でも、「おはようございます」と言ってくれたことで、「あなたの『朝』は今始まったんですね、わかりますよ」って受け入れてもらえた気がしたんです。

たかが挨拶、されど挨拶。

この時間帯の使い分け一つとっても、相手への「配慮」や「共感」を示すツールになっている。これが日本の面白いところです。


「こんにちは」に込められた、5段階の「敬意」

さらに面倒くさい(いや、奥深い)のが、「相手との距離感」です。

日本の「こんにちは」は、全部同じ「こんにちは」じゃない。

声のトーン、表情、そして「お辞儀の角度」によって、込められた意味が全く変わってきます。

私、これを勝手に「こんにちは5段階活用」って呼んでます。

レベル1:会釈(えしゃく)の「こんにちは」

  • 相手:顔見知り程度の近所の人、スーパーの店員さん
  • お辞儀:ほぼ、首だけコクリ(5度くらい)
  • 意味:「あ、どうも」「(いつも)どうも」
  • 特徴:一番ライト。「Hi」に一番近いかもしれないけど、それでも「相手を認識しましたよ」という確認の意味合いが強い。これをスルーすると、「感じ悪い人」認定される可能性があるのが日本(笑)。

レベル2:普通の「こんにちは」

  • 相手:ママ友、まあまあ親しいご近所さん
  • お辞儀:軽く頭を下げる(15度くらい)
  • 意味:「やあ!今日も暑いね!」「(お子さん)元気?」
  • 特徴:笑顔とセット。ここには「私はあなたと良好な関係を築いていますよ」というアピールが含まれます。主婦の世界では、このレベル2をいかにスムーズに出せるかが、コミュニティでの立ち位置を左右したり…(闇?)

レベル3:敬意の「こんにちは」

  • 相手:子供の学校の先生、町内会の役員さん、あまり親しくないけど目上の方
  • お辞儀:スッと腰を折る(30度)
  • 意味:「こんにちは。いつも(子供が)お世話になっております」「(地域の活動)ありがとうございます」
  • 特徴:声のトーンが一段階上がります。「こんにちは」という言葉の後に、(カッコ)でくくられた「感謝」や「敬意」の言葉が隠されているのがポイント。

この「(カッコ)を察する」文化こそ、日本社会の神髄!

「こんにちは」としか言っていないのに、相手は「(いつもありがとう)」という部分をちゃーんと受け取ってくれる。逆に言うと、お辞儀が浅かったり、声が暗かったりすると、「(あれ、この人、私に何か不満でもあるのかしら…?)」と、言外の(カッコ)までネガティブに深読みされてしまう。

あぁ、書いているだけで胃が痛くなってきた(笑)。

でも、これが実態なんです。

レベル4:最敬礼の「こんにちは」

  • 相手:校長先生、恩師、夫の(怖い)上司
  • お辞儀:深く腰を折る(45度〜)
  • 意味:「こんにちは!本日は(わざわざお越しいただき)誠にありがとうございます!」
  • 特徴:もはや「こんにちは」というより「恐縮です」という気持ちが全身から溢れ出てる状態。背筋を伸ばし、一番キレイなお辞儀をします。これはもう、挨拶というより「儀式」に近いですね。

レベル5(番外編):無言の「こんにちは」

  • 相手:マンションのエレベーターで一緒になった、どこの誰だか知らない住人
  • お辞儀:無言で、コクリ(会釈)
  • 意味:「(…どうも)」
  • 特徴:これが一番難しい! 声を出すべきか、出さざるべきか。相手の出方を待ってしまう、あの気まずい数秒間! 密室だからこそ「敵意はありません」「あなたを認識しています」というサインを送る必要がある。でも、声をかけるほどの距離感でもない…。この「微妙な距離感」を測るための「無言の会釈」は、日本独自の高度なコミュニケーション術だと思います。

挨拶は「社会」へのパスポート

どうですか?

たかが「こんにちは」一つで、私たちは「時間」「相手との関係性」「TPO」「言外のメッセージ」を、一瞬で判断して使い分けているんです。

海外の「Hi」が、人と人との「壁」を壊してフレンドリーに繋がるための「フック」だとしたら。

日本の「こんにちは」は、人と人との「適切な距離」を測り、「相手を尊重」した上で繋がるための「ステップ」なのかもしれません。

日本で「主婦」として生活していると、この「ステップ」を踏み外さないことが、いかに大事かを痛感します。

「あの奥さん、挨拶してくれない」

「先生にタメ口で話してた」

こういう小さな「違和感」が、コミュニティの中での「あの人は、ちょっと…」という評価に繋がりやすい。

これは、日本が「和(わ)」を重んじる社会だから。

「個」が突出することよりも、「集団」として調和していることを美徳とする文化が、根底にあるんだと思います。

だから、挨拶は「私はこのコミュニティのルールを理解し、あなた方を尊重していますよ」という意思表示であり、「私は、この社会に所属する一員です」というパスポートのようなものなんです。

ちょっと堅苦しく聞こえちゃうかな?

でも、この「相手をまず立てる」「状況を読む」という人生術は、慣れるとすごく生きやすい知恵でもあるんです。

真正面からぶつかる前に、まず相手の「立ち位置」や「状況」を想像する。

そうすることで、無用な摩擦を避けたり、相手に「この人はわかってくれる」という安心感を与えたりできる。

「こんにちは」というたった5文字の言葉に、これだけの社会的背景と人生の知恵が詰まっているなんて、日本語って本当に面白いですよね。

さて、ここまで「こんにちは」について熱く語ってきましたが、日本の挨拶には、もっと「ヤバい」のがあります。

そう。

海外に直訳できる言葉が絶対に存在しない、あの魔法の言葉。

「お疲れ様です」

これこそ、日本の「社会観」の集大成。

「こんにちは」が「距離感」の挨拶だとしたら、「お疲れ様です」は「共感」と「ねぎらい」の挨拶。

次回は、この「お疲れ様です」という摩訶不思議な言葉を、私の実体験(PTA活動とか、パート先とか…)を交えながら、徹底的に解剖してみたいと思います!

これを知れば、日本人の「働き方」や「仲間意識」の謎が解けるかもしれませんよ。

お楽しみに!

最強の日本語!?「お疲れ様です」に隠された、日本の「思いやり」社会

(前回のあらすじ)

「こんにちは」という挨拶一つとっても、時間帯や相手、お辞儀の角度で5段階(以上!)に使い分ける私たち日本人。それは、相手との「適切な距離感」を測り、「和」を保つための高度な人生術なんだ!というお話をしました。

さて、こんにちは、Amiです!

前回の記事、読んでいただけましたか?

日本の挨拶が「距離感」を測るセンサーだとしたら、今日お話しする言葉は、その**距離感を一気に縮め、相手の心にそっと寄り添う「魔法の言葉」**です。

そう、何を隠そう…

「お疲れ様です」

これです!

海外在住の皆さん、この言葉、恋しくないですか?(笑)

そして、この言葉を英語や現地語に訳そうとして、頭を抱えたこと、ありませんか?

“You are tired.”

“You look tired.”

“Good job.”

“Thank you for your hard work.”

どれも、なんか違う!!

“Good job”は「良い結果」が出た時にはいいけど、別に結果が出てなくても使うし。

“Thank you”だと、感謝するほどのことでもない、すれ違いざまの挨拶でも使うし。

かといって、”You are tired”(あなたは疲れていますね)なんて、いきなり言われたら「失礼な! ほっといてよ!」ってなりますよね(笑)。

私がまだ20代の頃、夫の会社(外資系)の同僚だったアメリカ人のマークが、真剣な顔で夫に相談してきたそうです。

「なぁ、俺、この会社で嫌われてるのかな…? みんな俺の顔を見るたびに『オツカレサマデス』って言うんだけど、それって『お前、疲れた顔してるぞ』って意味だろ? 俺、そんなにヒドイ顔してる?」

もう、大爆笑ですよね。

でも、これこそが「お疲れ様」の謎を解くカギ。

そう、この言葉は「疲れている」という**「状態(Fact)」を指摘する言葉じゃない**んです。

これは、「疲れるほど、あなたは頑張っていますね」という**「行動(Action)」と「過程(Process)」を丸ごと承認し、ねぎらう言葉**なんです。


「お疲れ様」は、日本社会の「合言葉」

この言葉のすごさを私が痛感したのは、子供が幼稚園に入って、十数年ぶりにパートを始めた時でした。

初日のオリエンテーションを終えて、ロッカールームで着替えていると、先に仕事を終えた先輩パートさんが「お先に失失礼します」と帰っていきます。

すると、ロッカールームにいた全員が、一斉に「「「お疲れ様でしたー!」」」と声をかけるんです。

まだ仕事もしてない私まで、つられて「お、お疲れ様でした…!」と(笑)。

そして、数時間後。今度は私が仕事を終えて、「お先に失礼します」と言う番。

すると、さっきまで淡々と作業していた先輩たちが、一斉に顔を上げて、「はーい、お疲れ様でしたー!」「お疲れ様! 気をつけてね!」と、一気に「仲間」の顔で送り出してくれたんです。

あの瞬間、ジーンと来ました。

「あ、私、今日からここの一員になれたんだ」って。

「こんにちは」が、まだ「お客様」や「他人」との距離感を測る言葉だとしたら、「お疲れ様です」は、**同じ「ウチ(内)」の人間になったことを確認し合う「合言葉」**なんですよね。

「あなたも頑張ってるね」

「私も頑張ってるよ」

「私たちは、同じ場所で、同じ目的に向かって(たとえそれが大変な仕事でも)頑張ってる『仲間』だよね」

この、目に見えない「連帯感」や「共感」を、たった一言で表現できる。

「ありがとう」よりも軽く、「こんにちは」よりも温かい。

これほど便利な言葉が、他にあるでしょうか。


PTAで炸裂する「お疲れ様」の真価

この「お疲れ様」の真価が、さらに恐ろしいレベルで発揮される場所があります。

それは…PTA活動です。

皆さんの中にも、海外の日本人学校などで役員を経験された方、いるかもしれませんね。

日本の学校のPTAって、まぁ〜大変(笑)。仕事や家事の合間を縫って、無償で、膨大な作業と会議をこなさないといけない。

先日も、来年度の役員決め(恐怖のくじ引き!)と、春祭りの出店内容を決める会議がありました。

会議は白熱。

「くじ引きは不公平だ」「いや、推薦は角が立つ」

「出店は『フランクフルト』がいい」「衛生面で許可が下りない」

「そもそも、この作業、本当に必要ですか?」

…出ました、根本論(笑)。

もう、みんなの顔に「疲労」と「不満」が色濃く浮かび、会議室の空気は最悪。

結局、何も決まらないまま、時間切れ。

「…では、本日の議題は、次回に持ち越しということで…」

重〜い沈黙が流れ、みんなが「あぁ、無駄な時間だった…」とイライラし始めた、その時。

広報担当のベテランママさんが、パン!と手を叩いて、にっこり笑ってこう言ったんです。

「はい! 皆さん、長丁場、本当にお疲れ様でしたー! 決まらなかったけど、色んな意見が出たのが収穫ですよね! さ、帰りましょ!」

その一言で、場の空気が一瞬で変わったんです。

凍りついていたママたちの顔が、フッと緩んで、「あー疲れたねぇ」「お腹すいたねぇ」って、さっきまでの険悪なムードが嘘のように和らいだ。

これなんです!

この時の「お疲れ様でした」は、”Good job”(良い仕事でしたね)では、断じてない。

だって、何も決まってないんだから(笑)。

これは、**「結果は出なかったけど、この面倒くさいプロセスに耐え、一緒に頭を悩ませてくれた『時間』と『労力』そのものに、感謝します」**という意味なんです。

日本社会は、物事の「結果(Result)」と同じくらい、そこに至るまでの「過程(Process)」や「努力(Effort)」を重んじます。

たとえ失敗しても、「頑張った」こと自体に価値を見出す文化。

「お疲れ様です」は、その「過程」と「努力」を、丸ごと「ドン!」と肯定してくれる、魔法のねぎらいの言葉なんです。

「あなたの頑張り、私、ちゃんと見てますよ」

「大変だったよね、わかるわかる」

この**「共感(Empathy)」**こそが、日本社会を円滑に回すための、最強の潤滑油なんじゃないかな、と私は思います。


「ご苦労様」と「お疲れ様」の超えられない壁

あ、そうそう。

この「お疲れ様」とそっくりな言葉で、「ご苦労様(ごくろうさま)」ってありますよね。

これ、うっかり使うと大変なことになる、地雷ワードなので気をつけてください(笑)。

簡単に言うと、

  • お疲れ様です = 誰にでも使える(部下→上司、同僚、上司→部下)
  • ご苦労様です = 目上の人から、目下の人へ

なんです。

昔、新入社員の子が、大社長に向かって元気よく「社長、ご苦労様でした!」と言ってしまい、その場が凍りついた…なんていう伝説が、どの会社にも一つはあります(笑)。

「ご苦労」って、上から「苦労をねぎらってあげる」というニュアンスが強いんですね。

でも、「お疲れ様」は、対等か、もしくは下から上へ「あなたのお疲れ(=頑張り)を、私は敬意をもって認識しています」というニュアンス。

だから、夫が仕事から帰ってきた時に、妻が「ご苦労様でした」って言うと、なんか時代劇みたい(笑)。

「お疲れ様」って言うからこそ、「私も家事・育児を頑張った、あなたも仕事を頑張った、お互い『お疲れ様』だね」という、**対等なパートナーとしての「ねぎらい」**になる。

たった一言で、関係性まで変わってしまう。日本語って、本当に奥深いですよね。


「こんにちは」で相手との「距離」を測り、「お疲れ様です」で「共感」を示し、「仲間」になる。

日本の挨拶って、単なる記号じゃなくて、人間関係を築くための「道具」であり「知恵」そのもの。

でもね、この「共¥感」や「仲間意識」を大切にする文化も、行き過ぎると、ちょっと息苦しくなる時があるんです。

「みんなと一緒じゃないと不安」

「本音を言うと、和が乱れるかも…」

そう。

この「空気を読みすぎる」文化が生み出した、日本独特のコミュニケーション。

「本音(ほんね)」と「建前(たてまえ)」という、二つの「顔」の使い分けです。

次回は、この「本音と建前」という、ちょっとダーク(?)だけど面白い、日本の「人生術」について、私の失敗談も交えながらお話ししたいと思います!

日本社会の「本音」と「建前」は悪なの? 主婦Amiがやらかした、ママ友LINEでの大失敗

(前回のあらすじ)

「お疲れ様です」という言葉は、結果だけでなく「頑張った過程」そのものを丸ごと承認し、ねぎらう、日本社会の「共感」と「仲間意識」の象徴。PTA会議でさえ、この一言が場の空気を和ませる!…という、日本社会の「温かい」側面についてお話ししました。


やっほー! Amiです。

前回の「お疲れ様です」の話、たくさんのママ友から「わかるー!」って連絡をもらいました(笑)。そう、あの言葉には不思議な連帯感を生むパワーがありますよね。

「みんなで頑張ってる」

「大変だけど、お互い様」

この「共感」や「和(わ)」を大切にする文化。これぞ日本の美徳!…と、言いたいところなんですが。

今日は、あえて、この美徳が裏目に出た時の話をします。

この「和」を大切にしすぎるあまり、私たち日本人は、知らず知らずのうちに、非常に高度で、非常に面倒くさい(!)コミュニケーションスキルを身につけてしまいました。

それが、今回のテーマ。

**「本音(ほんね)」と「建前(たてまえ)」**です。

海外生活が長い皆さんなら、日本のこの「ハッキリ言わない」文化に、一時帰国のたびに「うわっ、面倒くさ!」って思ったりしませんか?

「なんでストレートに言ってくれないの!?」

「結局、YESなの? NOなの?」

って。

わかります。私も、海外ドラマの主人公みたいに「私はこう思う!(ドン!)」って言えたら、どんなに楽だろうって思うこと、ありますもん。

でもね、日本社会で「主婦」として、「母」として、この「ご近所コミュニティ」という名の複雑な海を泳いでいくためには、この「本音と建前」の使い分けが、もはや「必須スキル」なんです。

そして私、このスキルを磨く過程で、見事に大失敗をやらかしました(笑)。

今日は、私の恥ずかしい「ママ友LINE事件」を、皆さんにだけこっそりお話しします…。


地獄の始まり。「謝恩会実行委員LINE」

あれは、長男が幼稚園の年長さんだった頃。

私は「謝恩会(しゃおんかい)」(卒園式後に、お世話になった先生方へ感謝を伝える会)の実行委員になってしまいました。

委員は、私を含めて5人のママ。

最初は「みんなで力を合わせて、先生方に喜んでもらえる会にしましょうね!」「おー!」なんて、和気あいあいとスタートしたんです。

そう、「お疲れ様です」の精神で。

問題が起きたのは、会のメインイベントである「先生への記念品」を決めるLINEグループでのことでした。

Aさん:「記念品、何がいいでしょう? 去年は『高級な万年筆』だったみたいです」

Bさん:「素敵ですね! でも、先生方、万年筆って使うかしら…?」

Cさん:「実用的なものがいいかも。『エプロン』とか?」

Dさん:「あ、それいいかも! でも、デザインの好みがありますよね…」

…この調子で、2日間。

「万年筆」→「エプロン」→「カタログギフト」→「商品券」→「いや、商品券は生々しい」→「やっぱり手作りのアルバム?」→「時間がかかりすぎる」→「じゃあ万年筆…?(以下、無限ループ)」

もうね、通知が鳴り止まない!

しかも、誰も「これがいい!」と断言しない。

みんな「〜かもですね」「〜という意見もありますよね」「〜も素敵ですよね(でも私は決めません)」という、絶妙な「建前」ボールを投げ合っている状態。

当時の私は、パートと家事と育児でパンク寸前。

「早く決めて、作業に入らせてくれ!」とイライラが募っていました。

そして、ついにDさんが「やっぱり、万年筆が『記念』って感じがして良いかなぁ…なんて」と、三度目の「万年筆」案を出した瞬間。

私、やっちゃったんです。

「本音」を、ぶちまけてしまいました。

私:「すみません、もう万年筆の案はナシにしませんか? 使うか分からない物より、実用的なものがいいとBさんCさんも言ってますし、何よりこのループ、非効率すぎます。予算内で一番無難な『カタログギフト』にして、早く次の作業に進みません?」

送信ボタンを、ポチッ。


「シーン…」凍りつくLINEグループ

送信した瞬間は、「あー、スッキリした! これで進むぞ!」とさえ思っていました。

海外ドラマのデキる主人公になった気分です。

しかし。

あれだけ鳴り響いていたLINEの通知が、ピタッと止まりました。

「既読 4」は付くのに、誰も何も返してこない。

いわゆる「既読スルー」というやつです。

1時間、2時間…。

おかしい。

「そうですね、効率よくいきましょう!」とか「Amiさん、ありがとう!」って反応が来ると思ってたのに。

その夜、実行委員の一人、Bさんから個人LINEが来ました。

「Amiちゃん、お疲れ様。さっきのLINEだけど…。

みんな、Amiちゃんが言ってること(=効率が悪い)は、たぶん分かってると思うんだ。

でも、Amiちゃんが『非効率すぎます』『ナシにしませんか?』って言っちゃうと、

今まで『万年筆がいいかも』って言ってたAさんやDさんの**『顔を潰す』**ことになっちゃうんだよ。

『みんなで一緒に悩んで決めた』っていう『過程』が大事だから、

ああいう風に『正論』でバッサリ切っちゃうと、みんなビックリしちゃうよ」

……ガーーーン。

「顔を潰す」?

「過程が大事」?

「正論で切る」?

私の「本音」は、この場合「正解」でも「効率的」でもなく、ただの**「和を乱す爆弾」**でしかなかったんです。


「建前」は、「思いやり」という名の鎧

私は、猛烈に反省しました。

私がやったことは、「早くしろ!」と正論のナイフを振り回して、他のママたちが**「面倒だけど、波風を立てないように」と必死で守っていた「和」**を、ズタズタに切り裂いたことだったんです。

AさんやDさんが「万年筆」にこだわっていたのも、本気でそれがベストだと思っていたわけじゃなく、「去年の役員さん(=先輩ママ)が決めたものを否定するのは角が立つ」という「建前」だったのかもしれない。

BさんやCさんがハッキリ反対しなかったのも、「Aさんたちの意見を尊重しなきゃ」という「建前」だったのかもしれない。

みんな、それぞれの「建前」という名の「配慮」をしながら、落とし所を探っていた。

そこに私は、「本音」という土足で踏み込んでしまったんです。

この一件で学んだのは、日本の「建前」は、必ずしも「嘘」や「不誠実」を意味するわけじゃない、ということ。

多くの場合、それは**「相手を傷つけないための『思いやり』」であり、「集団の調和を守るための『潤滑油』」**なんです。

例えば、

  • 行きたくないお茶会に誘われた時。
    • 本音:「あなたとのお茶会、正直ダルい…」
    • 海外(例):「Sorry, I’m not interested.」(ごめん、興味ないわ)
    • 日本(建前):「あー、ごめんなさい! その日、ちょっと予定があって…」(←相手を傷つけず、自分の意思も守る、魔法の言葉)
  • ご近所さんから、趣味で作った(あんまり好みじゃない)手芸品をもらった時。
    • 本音:「うわ…これ、どこに飾ればいいの…」
    • 海外(例):「Oh, thank you.(苦笑い)」
    • 日本(建前):「わぁ、素敵ですね! 器用で羨ましいです!」(←相手の「作った努力(=お疲れ様)」を全力でねぎらい、感謝する)

ね?

「建前」って言っちゃうと聞こえは悪いけど、その実態は「相手の気持ち」や「その場の空気」を最優先する、究極の「配慮」スキルなんです。


「空気を読む」とは、配慮の量を測ること

もちろん、いつも「建前」ばかりじゃ疲れます。

「本音」でぶつかり合って、スッキリすることもあります。

でも、日本社会、特に「主婦」や「母」の世界のように、狭くて濃密なコミュニティ(=逃げ場がない!)では、「本音」をぶちまけるのは、最後の最後の手段。

日常のほとんどは、「本音」をオブラートに包んで、「建前」という名の「思いやり」をトッピングして、いかに相手が受け取りやすい「球」を投げるか、というキャッチボールで成り立っています。

「空気を読む」というのは、まさにこの「オブラートの厚さ」や「トッピングの量」を瞬時に判断すること。

あ、今のこの人は「本音」が言いたそうだぞ。

あ、今ここで「正論(本音)」を言ったら、あの人が傷つくな。

ここは「建前」で、一旦みんなの顔を立てておこう…。

あぁ、なんて面倒くさい!(笑)

でも、この「面倒くささ」にこそ、日本人が無意識に目指している「調和」の正体がある気がします。

「こんにちは」で距離を測り、

「お疲れ様です」で共感し、

そして「本音と建前」を使い分けて、摩擦を避ける。

じゃあ、こんなに「空気」ばっかり読んで、自分を殺してまで、私たち日本人は一体、何を守ろうとしているんでしょう?

この「建前」だらけの社会で、私たちはどうやって「自分らしさ」を保っているんでしょうか?

次回は、いよいよ最終回【結】。

この複雑怪奇な日本社会を、主婦Amiがどう「したたかに」生き抜いているか(笑)、私の「処世術」を、まとめてお話ししたいと思います!

「空気を読む」のは疲れるけど。日本社会を「楽に」生き抜く、私の「バランス感覚」処世術

(前回のあらすじ)

日本の「和」を重んじる文化は、「本音と建前」という二つの顔を生み出した。ママ友LINEで「本音(正論)」をぶちまけて大失敗した私(Ami)は、「建前」とは相手を傷つけないための「思いやり」であり、調和を守る「潤滑油」なのだと痛感。でも…正直、疲れるよね!?


やっほー! Amiです。

【起】【承】【転】と、日本の挨拶やコミュニケーションについて、私の実体験(と失敗談)を交えながら、かなり深く掘り下げてきました。

「こんにちは」で相手との「距離感」を測り、

「お疲れ様です」で「共感」して仲間になり、

「本音と建前」を駆使して「和」を守る…。

ここまで読んでくださった皆さん、今、たぶんこう思ってますよね?

「あーーーー、面倒くさい!!!」

わかります。わかりますとも!(笑)

私も書きながら、「なんで私たち、こんな複雑なこと毎日やってるんだろ…」って、ちょっとクラクラしました。

海外の、もっとシンプルでストレートなコミュニケーション。

「YES/NO」がハッキリしていて、「Hi!」と笑顔で誰とでも繋がれるあの感じ。

それに比べたら、常に「相手はどう思うか」「この場の空気は…」なんてビクビク(?)しながら生きている日本社会って、なんて息苦しいんだろう…って。

でもね、あの「ママ友LINE事件」で大失敗し、猛反省した私は、気づいたんです。

あの「建前」だらけの面倒くさいコミュニケーションは、ただ息苦しいだけじゃなかった。

それは、**他人を傷つけないための「鎧」であると同時に、「自分自身を守るための最強のバリア」**でもあったんだって。


「建前」は、私を守る「省エネ運転術」

【転】の記事で、行きたくないお茶会を断る時の「建前」の話をしましたよね。

「ごめんなさい! その日、ちょっと予定があって…」

これ、相手を傷つけないための「思いやり」だと書きました。

でも、もう一つの側面があります。

それは、「私、あなたとのお茶会、面倒くさいんです」という「本音」を、わざわざ言わずに済むということ。

もし、海外ドラマみたいに「Sorry, I’m not interested.(ごめん、興味ないわ)」なんて本音を言ったらどうでしょう?

相手は傷つくし、こっちも「あんなこと言っちゃった…」って罪悪感が残るかもしれない。その後の関係もギクシャクして、余計なストレスが増えますよね。

でも、「予定があって」という「建前」を使うだけで、

相手は「そっか、残念」と(たぶん)傷つかずに引き下がり、

私も「あー、断れた」とホッとできる。

これって、すごくないですか?

お互いに最小限のダメージで、波風立てずに、自分の意思を通すことができる。

無用な摩擦やエネルギーの消耗を避けるための、究極の「省エネ運転術」であり、「処世術」なんです。

「空気を読む」というのは、相手の地雷を踏まないようにすることでもあるし、同時に、自分の地雷(=本音)をうっかり相手に踏ませないように、あらかじめ「建前」という名のクッションを敷いておく作業でもある。

そう考えると、この「面倒くさい」文化も、なかなか賢い「知恵」だなって思えてきませんか?


Ami流・処世術①:「本音」を話す場所を、徹底的に「選ぶ」

とはいえ、ずーっと「建前」モードじゃ、さすがに窒息します(笑)。

「本当の私」はどこへやら!?ってなっちゃう。

だから、私は、徹底的に「使い分け」ています。

「ご近所さん」「ママ友」「PTA」――。

こういう、「生活に密着しすぎて、逃げ場がない」コミュニティでは、私は「Ami Ver. 1.0(社会適応モード)」のスイッチを入れます。

ここでは、「自分らしさ」や「正論」は、ちょっと横に置いておく。

最優先事項は、「波風立てずに、平穏無事に暮らすこと」。

だから、「建前」も「お世辞」も「愛想笑い」も、ガンガン使います(笑)。

だって、スーパーで毎日顔を合わせる人と、ギクシャクするなんて、地獄じゃないですか?

それなら、「建前」という名のバリアを張って、ニコニコ「こんにちはー、いいお天気ですねー(本音:早く帰ってドラマ見たい)」って言ってた方が、よっぽど精神衛生上いいんです。

その代わり。

本当に信頼できる学生時代の友人や、夫、姉妹。

こういう**「安全地帯」**にいる人たちと会った時は、「Ami Ver. 0.0(素の私モード)」に切り替えます。

「聞いてよー! PTAのあの人、本当に意味わかんなくて!」

「もう全部投げ出して、温泉行きたい!!」

ここで、Ver. 1.0で溜め込んだ「本音」という名の「毒」を、全部デトックスするんです(笑)。

日本人は、この「モード切り替え」が、めちゃくちゃ上手い民族なんだと思います。

場所や相手によって「顔(ペルソナ)」を変える。

それは「不誠実」なんじゃなくて、複雑な人間関係の中で「自分」をすり減らさないために身につけた、**賢い「適応戦略」**なんですよね。


Ami流・処世術②:「小さな本音」を「建前」でラッピングする

じゃあ、「社会適応モード」の時は、100%「建前」で自分を殺すのか?

というと、それもまた、しんどい。

そこで、あの「ママ友LINE事件」の反省を生かした、私の必殺技(?)があります。

それは、「本音(自分の意見)」を、「建前(相手への配慮)」で何重にも優しくラッピングして、そっと渡す技術です。

あの時、私は「非効率だ!」という「本音(正論)」のナイフを、むき出しで振り回してしまいました。

もし、今、あの時に戻れるなら、こう言います。

「皆さん、色々な案をありがとうございます! 万年筆案、AさんDさんの言う通り、すごく『記念』になる感じで素敵ですよね!

ただ、BさんCさんが心配してた『実用性』も、確かに…と悩ましくって。

そこで、もしよければ、なんですけど…

予算の半分で皆さんの意見を合わせた『少し良いボールペン』にして、残りの半分で、先生方が好きな物を選べる『カタログギフト』をセットにする、っていうのはどうでしょうか…?

作業は増えちゃうんですけど、皆さんの意見をどっちも採り入れられるかなぁ…なんて」

わかります? この回りくどさ!(笑)

ポイントは、

  1. まず、相手の意見(万年筆案)を全力で肯定する。(「素敵ですよね!」)
  2. 別の意見(実用性)も尊重する。(「確かに悩ましい」)
  3. 自分の意見を「断言」せず、「提案」や「相談」の形にする。(「〜はどうでしょうか?」)
  4. 相手の顔を立てる「折衷案(せっちゅうあん)」を提示する。
  5. 「〜なんて」「〜かも」という、**断定を避ける「クッション言葉」**を多用する。

100%の「本音」でぶつかるんじゃなく、10%くらいの「本音」の芯に、90%の「建前(配慮)」という名のフワフワの綿を巻きつけて、相手が「うん、それなら受け取ってもいいかも」と思える形にパッケージングしてあげる。

これが、日本の「和」を乱さずに「自分」も保つ、究極のバランス感覚なんだと思います。


面倒くささの先にあるもの

「こんにちは」から始まった、日本のコミュニケーションの旅。

いかがでしたか?

「距離感」を測り、「共感」を求め、「建前」で和を守る。

これら全てに共通しているのは、やっぱり「自分(個)」よりも、「私たち(和)」の調和を最優先する、という日本社会の強い価値観です。

それは時に「我慢(Gaman)」を強いる息苦しさにもなるけれど、見方を変えれば、**「できるだけ誰も傷つけない世界にしよう」という、壮大な「思いやり(Omoiyari)」**のシステムでもあるんです。

海外の「Hi!」が、「個」と「個」を繋ぐ、シンプルでストレートな「線」だとしたら。

日本の「こんにちは」や「お疲れ様」は、「個」と「個」の間に、あえて「空間(間=ま)」を作る作業なのかもしれません。

そして、私たちはその「空間(=空気)」を読み合うことで、直接ぶつからずに、お互いの存在を尊重し合おうとする。

海外のストレートな文化の中で、日々「How are you?」とシンプルに戦っている皆さん。

その「楽さ」と「強さ」は、本当に素晴らしいものです。

でも、もし日本に帰ってきて、「あー、日本、面倒くさ!」ってなったら、ぜひこの話を思い出してください。

この「面倒くささ」は、日本人が何千年とかけて培ってきた、不器用だけど、すごく繊細で、優しい「人生の知恵」の塊なんです。

海外の「個」の強さと、日本の「和」の繊細さ。

その両方を知っている皆さんは、最強のコミュニケーション能力者です!

遠い日本から、皆さんが今日も元気に、それぞれの場所で頑張っていることを、「お疲れ様です!」の気持ちで、心から応援しています!

読んでくれて、ありがとうございました!

またね!

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