タスクの海で溺れそう。私たち、毎日頑張りすぎじゃない?
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こんにちは!
はじめまして、日本で夫とやんちゃな子供二人(と、食いしん坊の柴犬一匹)と暮らしています、マキコです。
このブログを読んでくださっているのは、きっと海外で頑張っている主婦の皆さんですよね。
毎日、本当にお疲れ様です。
青い空、違う色の髪の毛の人たち、見たこともない野菜が並ぶスーパーマーケット。
新しい環境での生活は、刺激的で楽しいことも多いと思います。
でも、それと同じくらい…いや、もしかしたらそれ以上に、「キーッ!」って叫びたくなること、ありませんか?
言葉の壁、文化の壁、そして見えない「当たり前」の壁。
子供の学校の書類が、現地の言葉でビッシリ書かれていて、夜な夜な翻訳アプリと格闘したり。
スーパーのレジで「ポイントカードは?」って早口で聞かれてるんだろうな、とは思うけど、そのカードの作り方すらわからなくて、とりあえず「No, thank you」でやり過ごしたり。
ご近所さんに勇気を出して「Hello!」って挨拶したら、すっごい怪訝な顔をされて、「え、私、なんか間違えた!?」って一日中へこんだり。
ああ、わかります。
私も(日本国内ですが)夫の転勤で、知り合いゼロの土地に引っ越した経験があるので、その「アウェイ感」、ちょっとだけわかるつもりです。
日本に住んでいる私も、もちろん「主婦」として、毎日毎日、タスクの海で溺れかけています。
朝、目覚まし時計が鳴る前から、頭の中はフル回転。
(今日の天気は? 洗濯物は外? 中?)
(朝ごはんは…あ、食パン切らしてた! ご飯炊くか…いや、時間ない!)
(息子の体操服、昨日泥だらけだった! 洗ったっけ!?)
(夫のワイシャツ、アイロン…かけてない!)
(今日の晩御飯どうしよう…冷蔵庫、玉ねぎと卵しかなかった気がする…)
ベッドから出るまでに、すでに疲れてる(笑)
やっとの思いで家族を送り出して、束の間の静寂。
「よーし、今のうちに!」と掃除機を手に取った瞬間、鳴り響くインターホン。
「あ、〇〇(宅配業者)ですー!」
ああ、そうだった。昨日ポチったAmazon、今日届くんだった。
しかも、こういう時に限って、パジャマのまま、髪のボサボサ。
ちょっと恥ずかしいけど、仕方ない。
荷物を受け取って、さあ、気を取り直して…と思ったところに、今度は学校からの緊急連絡メール。
「本日、〇〇(インフルエンザとか)の流行により、全学年、午後から休校となります」
……え?
うそでしょ?
今日、午後から美容院予約してたのに!
銀行の振り込みも行かなきゃいけないのに!
スーパーの特売日だったのに!
もう、計画が音を立てて崩れていくのが聞こえます。
「なんで今日なの!?」「私の時間、どこいったの!?」
心の中で(時には口に出して)絶叫です。
海外で暮らす皆さんは、これに加えて「言葉」と「文化」のハードルがあるんですよね。
学校からのメールが、まず読めない。
銀行のシステムが、日本と全然違う。
特売日どころか、そもそも「お得な買い物の仕方」がわからない。
本当に、尊敬します。
毎日、異国の地で、家族のために、自分のために、目に見えない無数の「小さな戦い」を続けている皆さんのことを、心から尊敬しています。
でも、ちょっと待ってください。
私たち、もしかして、頑張りすぎじゃないですか?
「主婦だから」「母親だから」
「完璧にこなさなきゃ」
「みんなやっていることだから」
いつの間にか、自分で自分に「こうあるべき」という重い鎖を巻き付けて、息苦しくなってないでしょうか。
私、昔はひどかったんです。
「完璧な主婦」像にガチガチに縛られていました。
朝食は、和食なら焼き魚と卵焼きと具だくさんのお味噌汁。洋食ならスクランブルエッグとカリカリのベーコン、新鮮なサラダと…とか。
(実際は、前日の残りのカレーとか、納豆ご飯で精一杯なのに)
部屋は常にモデルルームみたいに片付いていないといけない。
(実際は、子供のおもちゃと洗濯物の山で足の踏み場もないのに)
子供にはいつも笑顔で、「どうしたの? お母さんになんでも話してごらん」なんて優しく言わなきゃいけない。
(実際は、「ちょっと待って! 今忙しい! 後にして!」ってイライラをぶつけて、後で自己嫌悪)
やることリスト(To Doリスト)は、毎日びっしり。
でも、そのほとんどが「未完了」のまま、次の日に持ち越される。
そして、リストの項目が増えていくたびに、自己肯定感は下がっていく。
「私って、なんてダメな主婦なんだろう…」って。
まさに、「タスクの海」で溺れて、もがけばもがくほど沈んでいく感じ。
毎日が不安と焦りでいっぱいで、心はいつも嵐のようでした。
でも、ある時、ふと思ったんです。
日本で暮らしていると、特にご近所の年配の主婦の方々(私たちは親しみを込めて「〇〇さんちのおばあちゃん」とか呼んでます)を見ていると、不思議な光景に出会うことがあります。
例えば、うちの隣に住んでいる佐藤さん(仮名・70代)。
佐藤さんは、いつもお庭の手入れをしています。
でも、一度に全部やるんじゃないんです。
「今日は、この一角の草むしりだけ」
「今日は、このバラの枝をちょっと切るだけ」
本当に、毎日10分か15分くらい。
私から見たら、「え、そこだけ? もっと一気にやっちゃえばいいのに」って思うんです。
でも、佐藤さんは、その「ちょっとだけ」を、毎日、毎日、本当に楽しそうに続けています。
そして、一年経つと、佐藤さんのお庭は、いつの間にか見事な花でいっぱいになっているんです。
私みたいに「よし、やるぞ!」と意気込んで、一日中庭いじりして、次の日(と、その次の日も)腰が痛くて寝込む…なんていう無計画さとは大違い(笑)
もう一つあります。
近所のお寺でやっている「お茶の教室」に、一度だけ体験参加した時のこと。
先生(これもまた、凛とした素敵なご婦人でした)が、お茶を点てる前に、スッと息を吸って、しばらく目を閉じたんです。
ほんの数秒。
でも、その場の空気が「シン…」と静まり返るのがわかりました。
先生は、後でこう言いました。
「忙しい時ほど、この『何もしない時間』が大切なんです。
お湯が沸く音、畳の匂い…そういうものに心を澄ませる『間(ま)』を持つことで、次の動きが丁寧になるんですよ」
「間(ま)」ですか…。
当時の私には、正直ピンと来ませんでした。
「間」なんてあったら、次のタスクを詰め込んじゃうよ!って(笑)
そして、極めつけは、数年前に大きな台風が関東を直撃した時のことです。
最寄りの駅が、完全にストップしてしまいました。
駅のホームは、会社から帰れない人たちで溢れかえっていました。
当然、みんなイライラしています。
「いつ動くんだ!」「説明しろ!」
そんな怒号が飛んでもおかしくない状況。
でも、多くの人は、ただジッと、スマホの画面を見たり、文庫本を読んだり、目を閉じていたり…。
もちろん、不満はあったでしょう。
でも、どうにもならない状況に対して、怒りを爆発させるのではなく、
「まあ、仕方ない」
と、ある種の「諦め」にも似た「忍耐」で、その場を受け入れているように見えました。
あれは、日本人独特の「我慢(がまん)」なのかな、と。
でも、それは「何でもかんでも耐えろ」っていうネガティブなものではなくて、
「自分の力で変えられないこと」と「変えられること」を見極めて、無駄なエネルギーを使わないようにする、一種の「知恵」なんじゃないか、とその時感じたんです。
「一気に全部やろうとしない」こと。(佐藤さんのお庭)
「あえて何もしない時間」を大切にすること。(お茶の先生の「間」)
そして「今どうにもならないことは、受け流す」強さ。(台風の日の駅)
これって、私たちが日々直面している「タスクの山」と「心の嵐」を乗り越えるための、すごく大切なヒントなんじゃないか?
それも、何百年も前から、日本人が無意識のうちに実践してきた「生活の知恵」なんじゃないか、と。
海外という、日本とは全く違う環境で、
「完璧じゃなきゃ」
「早くやらなきゃ」
「私がしっかりしなきゃ」
と、肩に力が入りすぎているかもしれない皆さんに、
この日本式の「力の抜き方」というか、「心の整え方」をお伝えできたら、
皆さんの毎日が、ほんの少し、軽くなるかもしれない。
このブログでは、そんな日本の日常に隠された「人生のヒント」…なんて言うと大げさですが、
私が主婦としてドタバタしながら見つけた「まあ、いっか」と思えるようになるための「心の処方箋」を、
実体験ベースで、カジュアルにお届けしていきたいと思います。
今回は「起」として、私たちがどれだけ日々「頑張りすぎているか」を、私の失敗談と共にお話しさせていただきました(笑)
次回からは、「承」として、
じゃあ具体的に、さっきの佐藤さん(お庭のおばあちゃん)が実践している「一気にやらない」知恵…
これ、実は日本が世界に誇る「カイゼン(Kaizen)」っていう考え方にも通じるんですけど、
それを私たち主婦の日常にどう落とし込むか、
「あ、それなら私にもできるかも!」っていう具体的な方法を、お話ししていきたいと思います。
海外で頑張る皆さんの生活が、少しでも「楽(らく)」で「楽しい」ものになりますように。
(私も頑張ります!)
さようなら「完璧主義」。主婦が学ぶべき「カイゼン」は、トヨタ式より佐藤さん(70代)式だった!
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こんにちは!マキコです。
前回の「起」の記事(読んでない方はぜひそちらも!)では、「私たち主婦、毎日頑張りすぎじゃない?」という、私の心の叫びにお付き合いいただきました(笑)
タスクの海で溺れかけ、目に見えない「完璧な主婦」像に縛られて、勝手にイライラして、勝手に自己嫌悪…。
ああ、書いてるだけで胸が苦しくなるような、かつての私です。
皆さんも、慣れない海外生活の中で、「言葉の壁」や「文化の壁」にぶつかりながら、山積みの家事育児、そして「謎の地域ルール」みたいなものと格闘しているかもしれません。
「もう無理!」「私のコピーロボット、どこかに売ってない!?」
そう叫びたくなる日、ありますよね。
前回、そんなカチコチだった私の心を解きほぐしてくれた、日本で出会った3つの「ヒント」について少しお話ししました。
- 一気に全部やろうとしない(佐藤さんのお庭)
- あえて何もしない時間(お茶の先生の「間」)
- どうにもならないことは受け流す(台風の日の「我慢」)
今回は、この一つ目。
「一気に全部やろうとしない」
この、シンプルだけど超・奥が深い知恵について、深掘りしていきたいと思います。
これ、実は日本が世界に誇る(?)あの有名な言葉、「Kaizen(カイゼン)」に、ものすごく深く繋がっているんです。
「カイゼン」って聞くと、どんなイメージですか?
「トヨタの生産方式」とか「工場の効率化」とか、ちょっとお堅くて、ビジネスマンが使う言葉、って感じがしませんか?
私もそうでした。「主婦の私には関係ないわ」って。
でも、本質はすごくシンプル。
「カイゼン」っていうのは、「小さな改善を、毎日、継続すること」
ただそれだけなんです。
ポイントは、「小さな」そして「継続する」こと。
一発逆転で、劇的に何かを変えることじゃないんです。
これって、前回お話しした、うちのお隣の佐藤さん(70代・お庭の達人)が、毎日10分だけ草むしりをしている姿、そのものでした。
佐藤さんは「週末に一気に庭を完璧にするぞ!」なんて意気込んでない。
「今日は、この一角だけね」と、本当に小さな範囲を、でも毎日続けている。
だから、無理がない。
そして、一年後には、誰よりも美しい庭を維持している。
私たち主婦が陥りがちなワナって、この「佐藤さん式カイゼン」の真逆をやってしまうことなんです。
何を隠そう、かつての私は「一発逆転・完璧主義の女王」でした(誰もそんな称号くれないけど)。
例えば、「キッチンの大掃除」。
ある土曜日の朝、突然スイッチが入るんです。
「よし!今日はこのキッチンを、業者が入ったみたいにピカピカにするぞ!」と。
家族に「今日はママ、本気だから!」と謎の宣言をし、まずは換気扇(一番の強敵)から取り掛かります。
油ギトギトのフィルターを外し、強力な洗剤に付け置き。
その間に、コンロの五徳を磨き、壁の油汚れを拭き、冷蔵庫の中身を全部出して、棚板を一枚一枚洗って…。
…お昼を過ぎた頃、私は気づきます。
「ま、まだ冷蔵庫しか終わってない…!」
付け置きしたはずの換気扇フィルターは、シンクの中で存在感を放ったまま。
キッチンは、洗剤のボトルと、外に出された調味料で、足の踏み場もないカオス状態。
そこへ、子供たちが「お腹すいたー!」と帰ってくる。
夫が「お、すごいことになってるね(苦笑)」とリビングから顔を出す。
カッチーン。
「うるさい! こっちは朝からずっと頑張ってるの! 誰も手伝ってくれないし! ご飯なんて自分でどうにかしてよ!!」
…はい、大爆発です。
もう、自己嫌悪の嵐。
あんなに「ピカピカにするぞ」と意気込んでいたのに、結果は「中途半端に汚いキッチン」と「最悪の空気になった家族」と「疲れ果ててイライラする私」。
結局、その日は適当な出前で済ませ、キッチンは「見なかったこと」にして寝る。
そして、恐ろしいことに、あの「カオス」状態を見てしまったせいで、「キッチンの大掃除」という言葉自体がトラウマになるんです。
次の大掃除は、半年後か、一年後か…。
その頃には、汚れはさらに手強くなって、「もっと完璧にやらなきゃ」と、さらにハードルが上がっている。
まさに、負のスパイラル。
これ、「カイゼン」の対極ですよね。
「一気に」「完璧に」やろうとして、結果「継続」できず、むしろ「悪化」させている。
海外で暮らしていると、この「完璧主義のワナ」に、もっと陥りやすいと思うんです。
だって、「ちゃんとやらなきゃ」っていうプレッシャーが、日本にいる時より強いから。
「子供が、現地の子と同じように、ちゃんとできるように」
「夫が、仕事に集中できるように、家は完璧にしておかなきゃ」
「私自身が、ここで『ダメな人』って思われないように、しっかりしなきゃ」
そんな無意識のプレッシャーが、私たちを「一発逆転・完璧主義」に追い立てる。
でも、結果は…さっきの私と同じ。
イライラと自己嫌悪だけが残る。
もう、その生き方、やめませんか?
私、やめたんです。
「完璧主義の女王」を、退位しました(笑)
そして、「佐藤さん式・ゆるゆるカイゼン」を取り入れることにしたんです。
具体的に何をしたか。
それは、「タスクを、ありえないくらい小さく分解する」こと。
そして、「『ついで』にやる」こと。
あのトラウマの「キッチン」で説明しますね。
まず、「キッチンの大掃除の日」という概念を、私の辞書から削除しました。
そんな日は、未来永劫やってきません。
代わりに始めたのが、「10秒カイゼン」です。
例えば、
- コンロを使ったら:まだ熱が残っていて汚れが浮いているうちに、濡れ布巾でサッと10秒拭く。
- (今までは「後でまとめてやろう」と放置して、油が固まってた)
- ヤカンでお湯を沸かしたら:沸くまでの待ち時間に、シンクの中をスポンジでクルクルと30秒磨く。
- (今まではスマホを見てた)
- 冷蔵庫を開けたら:「あ、牛乳とらなきゃ」だけじゃなくて、ついでに一番手前の賞味期限を1個だけチェックする(5秒)。
- (今までは、奥の方で「謎の物体」が発見されるまで気づかなかった)
- 電子レンジを使った後:温まった庫内を、使い終わった布巾でサッと5秒拭く。
どうですか?
「バカにしてる?」ってくらい、小さいでしょう?(笑)
でも、これが「カイゼン」のキモなんです。
「頑張らないこと」が、一番大事。
「よし、やるぞ!」と意気込んだ瞬間に、それはもう「カイゼン」じゃなくて、かつての「大掃除」になっちゃうから。
ポイントは、「ついでに」「無意識でできる」レベルまで、ハードルを下げること。
これを毎日(というか、料理のたびに)やっていると、どうなるか。
…正直、業者が入ったみたいに「ピカピカ」には、なりません。
なりませんよ、そりゃ(笑)
でも、「絶望的に汚い」状態には、絶対にならないんです。
常に「まあ、そこそこキレイ」がキープできる。
そして、何より変わったのは、私の「心」です。
「あぁ…換気扇の掃除しなきゃ…(憂鬱)」
「冷蔵庫、いつかやらなきゃ…(ため息)」
という、あの「やらなきゃいけないのに、できていない」という、重苦しいストレスから、完全に解放されたんです!
これって、すごくないですか?
家がピカピカになることより、自分の心が「晴れやか」であることの方が、主婦にとってはよっぽど大事だと、私は思います。
この「ゆるゆるカイゼン」、家事以外にも応用しまくってます。
例えば、「子供の片付け」(これも永遠のテーマですよね…)。
前は「全部片付けなさい!」って、完璧を求めて怒ってました。
今は違います。
「カイゼン」で「タスクを分解」します。
「OK、じゃあ今日は、床に落ちてる『絵本』だけ、本棚に戻そうか!」
「寝る前の3分間だけ、おもちゃ箱に、投げ込みOKタイム!」
「完璧な収納」は目指しません。
「とりあえず、床が見える」がゴール(笑)
これなら、子供も「えー、全部?」って絶望しないし、親も「3分だけ」ならイライラせずに付き合える。
昨日より、床に落ちてるものが3冊減ったら、それはもう立派な「カイゼン」です。
海外で暮らす皆さんなら、例えば「言語学習」とか「山積みの書類」も、この「カイゼン」が使えるはず。
「毎日1時間、現地の言葉を勉強するぞ!」
…これ、挫折フラグですよね(私だけ?)。
そうじゃなくて、
「子供を学校に送った後、車の中で、単語アプリを1分だけ開く」
「スーパーのレジで、勇気を出して「ありがとう」の一言だけ、現地の言葉で言ってみる」
それでいいんです。
0点(何もしない)と、100点(完璧)の二択じゃない。
今日は「1点」取れた。
明日も「1点」取れた。
それを続けたら、一年後には「365点」です。
「100点」を取ろうとして挫折して「0点」のままの一年と、どっちがいいでしょう?
学校から来る、あの「呪文」みたいな書類の山。
「全部読まなきゃ!」と思うから、見なかったことにしたくなる。
そうじゃなくて、「今日は、この1枚だけ」
「いや、この1枚の、タイトルだけでも翻訳アプリにかけてみる」
それが、あなたの「カイゼン」です。
「Kaizen(カイゼン)」は、私たちを追い詰めるビジネス用語じゃありません。
それは、「もう無理!」と心が折れてしまわないように、
「今日も私、ちょっとだけできたじゃん」
「昨日より、0.1%だけマシになったじゃん」
と、自分を(こっそり)褒めてあげるための、「心の護身術」なんだと思います。
完璧を目指さなくていい。
一気にやらなくていい。
ただ、昨日より0.1%だけ、「ラク」になる方法、「マシ」になる方法を見つける。
この「小さな一歩」の積み重ねこそが、海外という、時には過酷な環境で、私たちが「自分らしく」生き続けるための、最強の「人生術」なのかもしれません。
…と、また熱く語ってしまいました(笑)
この「カイゼン」、つまり「小さな継続」を支えるためには、実は「心の余裕」が不可欠なんですよね。
毎日「10秒」のカイゼンすらできないほど、心がカツカツだったら、元も子もない。
じゃあ、その「心の余裕」って、どうやって作るの?
はい、お待たせしました。
次回、「転」の章では、
あの「お茶の先生」が教えてくれた、日本古来の知恵。
あえて「何もしない」ことで、心にスペースを作る魔法、
「間(Ma)」
について、お話ししたいと思います。
これがまた、私たちの「忙しい!時間がない!」っていう呪縛を解いてくれる、すごいヒントなんです。
お楽しみに!
忙しい人ほど「何もしない」勇気を。日本人が大切にする「間(Ma)」という名の心の余白
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こんにちは!マキコです。
前回の「承」の章では、「完璧主義の女王」だった私が、お隣の佐藤さん(70代・お庭の達人)から学んだ「ゆるゆるカイゼン」のお話をしました。
「キッチンの大掃除の日」をカレンダーから抹消し(笑)、
「コンロを使ったついでに10秒拭く」
「お湯を沸かす間に30秒シンクを磨く」
という、「頑張らない」ための「小さな継続」を始めた、という話でしたね。
「一気に100点」を目指して挫折するより、「毎日1点」を積み重ねる。
それだけで、あの「やらなきゃいけないのに、できていない…」という重苦しいストレスから解放されて、心がフッと軽くなる。
「カイゼン」は、私たち主婦を縛るものではなく、むしろ自由にしてくれる「心の護身術」なんだ、と。
…と、ここまでお話しして、きっとこう思った方もいるはずです。
「マキコさん、わかるよ。言いたいことは、すごくわかる」
「でもね…」
「その『10秒』すら、生み出せないほど、今、私、パンクしてるんです!!!」
わかります。
わかりますよ…!(涙)
朝、目が覚めた瞬間から、頭の中は「やることリスト」で渋滞中。
子供を叩き起こし、朝食を(ほぼ)流し込み、着替えさせ、忘れ物がないか叫びながらチェックし、送り出す。
ホッと一息つく暇もなく、今度は洗濯機が「ピーピー!」と私を呼んでいる。
掃除機をかけ始めたら、宅配便が来て、電話が鳴って、あっという間にお昼前。
「え、私、今日まだ顔洗ってなくない!?」
…なんて日、ありません?
次から次へと押し寄せる「緊急」タスク。
まるで、ベルトコンベアのスピードが速すぎて、必死で手を動かしてるのに、どんどん品物(タスク)が溜まっていく感じ。
こんな「カツカツ」「パンパン」な状態の時って、
「コンロを10秒拭く」
っていう「小さなカイゼン」すら、億劫なんです。
その「10秒」をひねり出す「心の余裕」が、1ミリも残ってない。
「時間がない!」「忙しい!」「なんで私ばっかり!」
焦りとイライラで、心は風船みたいに張り詰めている。
そんな時に、子供が牛乳でもこぼそうものなら…
「こらー!! 今忙しいって言ってるでしょ!!(怒)」
…はい、大爆発、決定です。
そして、夜。
寝静まった子供の顔を見ながら、また自己嫌悪。
「あんなに怒る必要なかったのに…」
「私、母親失格かも…」
この負のスパイラル。
「カイゼン」(小さな行動)が大事なのはわかった。
でも、その行動を起こすための「心のエネルギー」が、そもそも枯渇してるんです。
じゃあ、どうすればいいの?
はい、お待たせしました。
ここで、あの「起」の章で登場した、二人目の達人。
お茶の教室の、あの凛とした先生の出番です。
先生が言った、あの言葉。
「忙しい時ほど、この『何もしない時間』が大切なんです」
これこそが、日本の文化に深く根付いている、第二の知恵。
「間(Ma)」
という考え方です。
「間」と書いて、「ま」。
「時間」「空間」「人間」…日本語には、この「間」という漢字が、やたらと出てきます。
それは、日本人が古来、「モノとモノの『あいだ』にある、目に見えない部分」を、すごく大切にしてきたからなんです。
例えば、日本の「水墨画」。
ビッシリと黒で描き込む西洋の油絵と違って、水墨画は「余白」だらけですよね。
でも、私たちはその「何も描かれていない白い部分」に、霞(かすみ)や、霧や、広大な空を感じます。
例えば、日本の「音楽」。
西洋のクラシックが音符で埋め尽くされているとしたら、日本の伝統音楽(尺八とか)は、「音と音の『あいだ』にある静寂」、つまり「間」を聴かせます。
そして、お茶の先生が見せてくれた、あの姿。
お茶を点てる前に、スッと息を吸い、目を閉じた、あの「数秒の静寂」。
あれこそが、「間」です。
先生は、あの数秒で、何をしていたのか。
きっと、
「次はお湯を注いで…あ、お菓子も出さなきゃ」
なんて、次の「タスク」を考えていたんじゃない。
きっと、
「お湯がシュンシュンと沸く音」
「畳のい草の、いい香り」
「窓から差し込む、光の柔らかさ」
…そういう、「今、ここに在るもの」だけに、心を澄ませていた。
つまり、「間」とは、
「タスクからタスクへと飛び移る『合間』に、あえて『何もしない』空白の時間を作り、パンパンになった頭(思考)を、一度リセットすること」
なんです。
…え?
「マキコさん、待って」
「こっちは『10秒』すら惜しいって言ってるのに、『何もしない時間』ですって?」
「そんなことしたら、余計にタスクが溜まっちゃうじゃない!」
そう思いますよね?
私も、昔はそうでした。
「主婦が休む=サボり」
「何もしない時間=罪悪感」
そう固く信じていました。
でも、違ったんです。
「間」を取ることは、サボることじゃない。
それは、次のタスクの質を上げ、暴走しがちな心を「今、ここ」に繋ぎ止めるための、**最も積極的で、最も効率的な「仕事」**だったんです。
考えてみてください。
「時間がない!」とパニックになっている時、私たちの脳みそって、どうなっているか。
「洗濯物! 掃除機! あ、メール返さなきゃ! 晩御飯どうしよう! あぁもう!」
これ、脳にとっては、最悪の「マルチタスク」状態です。
脳は本来、一度に一つのことしか集中できないのに、無理やり複数のことをさせようとして、完全にキャパオーバー。
結果、どれも中途半端になり、余計に時間がかかり、ミスが増え、イライラが募る。
お茶の先生は、知っていたんです。
この「パニック脳」のまま、慌ててお茶を点てても、雑な動きになり、お湯をこぼしたり、美味しく淹れられなかったりする、と。
だから、あえて「間」を取る。
数秒、ピタッと止まる。
「思考」を止めて、「五感」を開く。
沸騰していた頭を、クールダウンさせる。
リセットして、「ゼロ」の状態に戻す。
そして、落ち着いた「ゼロ」の心から、次の「一つのタスク(お茶を点てる)」に、スッと入っていく。
…ね? こっちの方が、よっぽど効率的で、丁寧な仕事ができそうだと思いませんか?
私たち主婦こそ、この「間」のテクニックを、日常に取り入れるべきなんです。
「お茶の先生みたいに、畳の上で目を閉じるなんて無理!」
わかります。
もっと簡単で、ドタバタの日常で、今すぐできる「主婦のための『間』の作り方」を、私が実践している3つの方法でお伝えします。
1. 「ドアノブ・ストップ」の術(3秒の間)
これは、タスクからタスクへ移動する「瞬間」に使う技です。
例えば、
- リビングの掃除機をかけ終わって、「よし、次はキッチン!」と移動する時。
- 子供が「ママー!」と呼んで、「はいはい、今行く!」と駆け寄る時。
- 外出先から「疲れたー!」と帰ってきて、玄関のドアを開ける時。
その「境目」で、ピタッと3秒だけ、動きを止めるんです。
ドアノブに手をかけたまま、止まる。
部屋の入り口で、止まる。
そして、
「ふぅーーーーーっ」
と、細く、長く、息を吐き切る。
たった3秒。
でも、この3秒が、魔法を起こします。
「掃除機ハイ」の興奮した頭が、リセットされる。
「また呼ばれた!」というイライラが、息と一緒に出ていく。
「疲れた…」というネガティブな空気を、家の中に持ち込むのを、玄関で食い止められる。
「時間がない!」と焦っている時ほど、私たちは「止まる」ことを怖がります。
でも、止まった方が、早いんです。
暴走する車(=パニック脳)のまま次の角に突っ込むより、一旦停止して、落ち着いてハンドルを切る方が、安全で確実ですよね。
2. 「聖域(サンクチュアリ)」を作る(空間の間)
これは、「空間」に「間(=余白)」を作る方法です。
日本の「ミニマリズム」や「禅」の考え方にも近いかもしれません。
「物」が視界にビッシリ詰まっていると、それだけで脳は「情報過多」になって疲弊し、「心の余裕(間)」を失います。
だから、家の中に「ここだけは、絶対に何も置かない」という「聖域」を決めるんです。
それは、
- キッチンのカウンターの、この一角だけ。
- リビングのテーブルの、真ん中だけ。
- 玄関の靴箱の、上全部。
どこでもいいんです。
家族に「ここは『ママの聖域』だから、絶対に物を置かないで!」と宣言します(笑)
子供がおもちゃを置こうとしたら、「そこはダメー! こっち!」と、聖域を守り抜きます。
最初は「たかがスペースでしょ?」と思うかもしれません。
でも、やってみてください。
家の中で、一箇所でも「完璧な空白(間)」が目に入ると、心が「ふぅー」と息をつけるのを感じるはずです。
物がごちゃごちゃした中で「心に余裕を持て」という方が、無理な話。
まず「空間」に間を作ってやることで、強制的に「心の余裕」を呼び込むんです。
3. 「お茶、私のためだけ」の術(10分の間)
最後は、意図的に「何もしない時間」をスケジュールに組み込む方法です。
「カイゼン」が「10秒」なら、「間」は「10分」とってみましょう。
ポイントは、「何かの『ついで』」に休むんじゃないこと。
「洗濯物干し終わったから、お茶でも飲むか(スマホ見ながら)」
…これは、「間」じゃなくて、「休憩」です。
「間」は、「何もしないこと・五感に集中すること」を、目的にします。
だから、手帳に書いちゃうんです。
「11:00〜11:10 窓際で、私のためだけのお茶タイム」と。
そして、その10分間は、
- スマホは、見ない。(最重要!)
- テレビも、消す。
- 「晩御飯どうしよう」とか、「あの書類…」とか、考えない。(これが一番難しいけど)
ただ、お気に入りのカップの「手触り」を感じる。
お茶の「湯気」を眺める。
「香り」を深く吸い込む。
「温かさ」が喉を通るのを感じる。
窓の外の「雲が流れる」のを、ぼんやり見る。
最初は、ソワソワします。
「こんなことしてる場合じゃ…」と罪悪感が襲ってくる。
でも、続けてみてください。
この「積極的な空白」の10分が、その後の「1時間」の家事の効率を、爆発的に上げてくれることに気づくはずです。
カツカツだった心が、お茶の温かさで「ふかふか」に解きほぐされる。
心に「間(余白)」ができたから、子供が牛乳をこぼしても、「あーあ、拭けばいいよー」って、優しくなれるんです。
「カイゼン」が、タスクを前に進める「動」の知恵だとしたら、
「間(Ma)」は、進むためにあえて立ち止まる「静」の知恵。
私たち現代人、特に海外で頑張る主婦の皆さんは、「足し算(あれも、これも)」は得意だけど、「引き算(あえて、やらない)」が、すごく苦手なのかもしれません。
タスクを詰め込むのではなく、あえて「間(空白)」を作る勇気。
それこそが、パンク寸前の私たちを救い、失われた「心の余裕」を取り戻してくれる、日本古来の魔法なんです。
…さて、「カイゼン」で日常を少しずつ整え、「間」で心の余裕をチャージする。
これで、海外生活もバッチリ!
…と、言いたいところですが。
人生、そんなに甘くないですよね(笑)
「カイゼン」でコツコツ積み上げたものも、「間」で作った心の余裕も、
一瞬で吹き飛ばすような「嵐」
って、来ませんか?
例えば、
- 突然の、子供の高熱。
- 現地での、まさかの事故やトラブル。
- 理不S尽な差別や、理解してもらえない孤独。
「カイゼン」どころじゃない。「間」どころじゃない。
「もう、どうしようもない!」
「なんで私ばっかり!」
「もう、全部放り出して、日本に帰りたい!」
そんな、「耐える」しかできないような、理不尽な「壁」にぶち当たった時。
私たち日本人は、どうやって心を保ってきたのか。
はい。次回、いよいよ最終章、「結」です。
3つ目のフック、
「我慢(Gaman)」
について、お話しします。
「我慢=ネガティブなもの」だと思っていませんか?
実は、これも「間」と同じくらい、私たちを強く、しなやかにしてくれる、日本人の「最強のメンタル術」だったんです。
その、本当の意味を、一緒に探っていきましょう。
それは「諦め」じゃない。「我慢(Gaman)」は、自分を守るための最強の「しなやかさ」だった。
(ここから本文)
こんにちは!マキコです。
この長いブログも、いよいよ最終章です。
前回、前々回と、私たちが日々直面する「タスクの海」と「心の嵐」を乗り越えるための、日本古来の知恵についてお話ししてきました。
まず「承」では、「完璧主義」を手放すための「カイゼン(Kaizen)」を。
「一気に100点」を目指すのをやめて、「10秒だけコンロを拭く」ような「毎日1点」を積み重ねる。
それは、自分を追い詰めるためじゃなく、むしろ「私、今日もできた!」と自分を認めてあげるための「心の護身術」でしたね。
そして「転」では、その「カイゼン」すらできないほど心がパンクした時の処方箋、「間(Ma)」を。
「ドアノブで3秒止まる」「聖域(空白)を家に作る」「10分、自分のためだけにお茶を飲む」。
あえて「何もしない」積極的な空白を作ることで、カチカチになった心に「ふかふか」な余裕を取り戻す、魔法のテクニックでした。
「カイゼン」で日常の「行動」を整え、「間」で「心」に余裕をチャージする。
…よし、これで完璧!
もう、海外生活でイライラしたり、落ち込んだりすることなんて、ないはず!
…なーんて。
そんなわけ、ないですよね(笑)
人生、そんなに甘くない。
特に、文化も言葉も違う海外での生活は、私たちの「想定」や「努力」を、いとも簡単に、容赦なく超えてくる。
「カイゼン」でコツコツ積み上げてきた「そこそこキレイなキッチン」も、
「間」を意識して、やっと手に入れた「穏やかな心」も、
たった一つの「想定外の出来事」で、
一瞬にして吹き飛んでしまうような「嵐」。
皆さんも、経験ありませんか?
例えば、
- 日本にいる親から、深夜にかかってきた「体調が悪い」という一本の電話。(すぐに飛んで帰れない、もどかしさ)
- 現地の病院で、子供が原因不明の高熱を出しているのに、専門用語だらけの医師の説明が、半分も理解できない時。(不安と、自分を責める気持ち)
- ただ道を歩いていただけなのに、すれ違いざまに投げつけられた、理不尽なアジア人差別の言葉。(怒りと、悲しみと、孤独)
- 現地の学校のシステムが、何度読んでも、誰に聞いても、理解不能。「なんでこんな非効率なの!」と叫んでも、誰も「当たり前」を変えてくれない時。(途方もない、無力感)
こういう時って、
「カイゼン」しようがないんです。
だって、自分では「改善」のしようがない、大きすぎる問題だから。
「間」を取ろうにも、
「3秒息を吐く」どころじゃない。
心臓はバクバクし、涙が溢れてきて、立っているのもやっと。
「心の余裕」なんて、砂漠の砂みたいに、指の間からこぼれ落ちていく。
「もう無理だ」
「もう、疲れた」
「どうして、私がこんな目に?」
「全部放り出して、日本に帰りたい…」
心が、ポキッと折れそうになる。
いや、もう折れかかっている。
…そんな時。
そんな、どうしようもない「嵐」の真っ只中で、
私たち日本人が、無意識のうちに発動させてきた「最後の砦」。
それこそが、三つ目の知恵、「我慢(Gaman)」なんだと、私は思うんです。
「我慢」
…あぁ、出ました。
この言葉を聞いて、ちょっとネガティブな、重苦しい気持ちになった人、いませんか?
私、昔はこの言葉が、大嫌いでした。
「泣くんじゃない、我慢しなさい」
「わがまま言わないで、我慢しなさい」
「周りに迷惑かけるから、我慢しなさい」
まるで、自分の「感情」や「本音」に、無理やり「蓋をしろ」と言われているみたいで。
「我慢」は、「自己犠牲」の象徴だ、と。
特に「主婦」や「母親」は、家族のために我慢して当たり前、みたいな、あの息苦しい空気。
だから、私も「我慢は体に悪い!」「これからは個性の時代!」「言いたいことは言おう!」って、思ってました。
でも。
「起」の章でお話しした、あの台風の日の駅の光景。
理不尽な「足止め」を食らっているのに、怒鳴り散らすでもなく、ただジッと、静かに「その時」を待っていた、あの人たち。
あの姿は、果たして「感情に蓋をした、ネガティブな自己犠牲」だったんでしょうか。
私、違うと思うんです。
あれは、「諦め(あきらめ)」じゃない。
「どうせダメだ」と、希望を捨てた「絶望」でもない。
あれこそが、日本人が培ってきた、
「自分ではコントロールできないこと」と、
「自分でコントロールできること」
を、瞬時に見極める「知恵」であり、
無駄なエネルギーを消費せず、嵐が過ぎ去るのを「しなやかに受け流す」ための、
**最強の「メンタル術」**なんじゃないか、と。
理不尽な差別発言をされた時。
もちろん、毅然と抗議することは、とても大切です。
でも、相手が誰かもわからない、一瞬の出来事だったら?
追いかけていって、相手を論破できますか?
子供が高熱で苦しんでいる時。
「なんで今なの!」とパニックになっても、熱は下がりません。
台風で電車が止まった時。
駅員さんに「いつ動くんだ!」と100回怒鳴っても、台風は消えてくれません。
これらは全部、「自分ではコントロールできないこと」。
この「コントロールできないこと」に対して、
「なんで!」「どうして!」「許せない!」
と、怒りや不安のエネルギーを全力でぶつけ続けるのは、
まるで、迫り来る台風に向かって、小さなこぶしを振り上げ続けているようなもの。
一番ダメージを受けるのは、台風じゃなくて、
エネルギーを使い果たし、心がボロボロになってしまう、「自分自身」なんです。
だから、日本人は知っていた。
台風が来たら、
**戦うんじゃない。しなだれるんだ、**と。
強い風に真っ向から立ち向かう「樫(かし)の木」は、いつか必ず折れてしまう。
でも、しなやかな「竹」は、風の力を「受け流し」、地面に倒れ伏すほど曲がっても、嵐が過ぎ去れば、またスッと起き上がる。
この、「折れない」ための「しなやかさ」。
これこそが、「我慢(Gaman)」の本当の姿だと思うんです。
それは、感情を「殺す」ことじゃない。
「悲しい」「悔しい」「辛い」
その感情は、しっかりと感じていい。感じて当たり前。
でも、その感情に「飲み込まれない」こと。
「悲しい。でも、私はこの場所で、今、立っていよう」
「悔しい。でも、このエネルギーは、今ここで爆発させるんじゃなく、別の場所で使おう」
そうやって、自分の「心の芯」の部分だけは、嵐に持っていかれないように、必死で守り抜く。
エネルギーの無駄遣いをやめて、
「今、この状況で、私にコントロールできる、たった一つのこと」
に、意識を集中させる。
台風の駅で、駅員さんに怒鳴る代わりに、スマホで「別のルート」や「近くのホテル」を探す。
理不尽な言葉に傷つきながらも、「今日は美味しいものを作って、子供と笑おう」と決める。
子供の熱に動揺しながらも、「先生に伝えるべき『症状のリスト』を作ろう」とペンを取る。
これって、
ネガティブな「我慢」どころか、
絶望的な状況の中で、前に進むための一歩を捻り出す、
ものすごく「積極的」で「強い」心の動きだと思いませんか?
海外で頑張る皆さん。
私たちは、毎日、大小さまざまな「嵐」の中にいます。
「完璧な主婦」なんて目指さなくていい。
「カイゼン」なんて、できなくて当たり前。
「間」を取る余裕なんて、なくて当たり前。
そんな日も、あります。
でも、もし、
どうしようもない理不尽な嵐に巻き込まれて、
「もうダメだ」と心が折れそうになったら、
この三つの「おまじない」を、そっと唱えてみてください。
まず、「我慢(Gaman)」で、嵐を受け流す。
「これは、私にはコントロールできない嵐だ」と認める。
「戦わない。折れない。ただ、過ぎ去るのを待つ」と決める。
(しなやかな竹になる)
次に、嵐の中で「間(Ma)」を見つける。
「大丈夫」と、深く、深く、息を吐く。
ほんの数秒、目を閉じて、自分の「内側」がまだ安全であることを確認する。
(嵐の目に入る)
そして、嵐が弱まったら、「カイゼン(Kaizen)」を始める。
「今、私にできる、一番小さな一歩は?」
「子供の頭を、なでてあげること」
「温かいスープを、一杯作ること」
それだけで、いい。
(折れた枝を拾う)
「我慢(Gaman)」で自分を守り、
「間(Ma)」で心に余白を作り、
「カイゼン(Kaizen)」で小さな一歩を踏み出す。
この三つは、バラバラの知恵じゃなくて、
私たちがどんな環境でも「しなやかに」生き抜くための、
一つの「生きる術(すべ)」なんだと思います。
日本という、台風や地震の多い、どうにもならない「理不尽」と共存してきた国で、
私たちの祖先が、何百年もかけて磨き上げてきた、最強の「人生術」です。
皆さんは、今、異国の地で、その「術」を、毎日、実践しています。
それって、本当に、本当にすごいこと。
だから、
「完璧にできなくて、ダメだな」
なんて、絶対に思わないで。
「今日も、なんとか生き延びたな」
「私、けっこう『しなやか』に、やってるじゃん」
って、
日本で暮らす私が心から尊敬しているのと同じように、
皆さんも、ご自身のことを、思いっきり褒めてあげてくださいね。
長い長いお手紙に、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。
遠い日本の空の下から、皆さんの毎日を、心から応援しています!

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