スマホとの「いい距離感」みつけた。日本在住主婦が実践する「デジタルな庭」の育て方

「情報メタボ」になってない?スマホの中を「京都の庭」にする方法

こんにちは!海外で子育てや家事に奮闘されている皆さん、お疲れ様です。日本で主婦をしている「私」です。

そちらの暮らしはいかがですか? テクノロジーのおかげで、遠く離れた日本の家族と顔を見ながら話せたり、世界中の情報が瞬時に手に入ったり、本当に便利な世の中になりましたよね。

特に私たち主婦にとって、スマホは「魔法の杖」。献立の検索、お子さんの学校との連絡、特売情報のチェック、そして息抜きのSNS…。一日中、片時も手放せない「相棒」になっている方も多いんじゃないでしょうか。

でも…。

最近、こんな風に感じること、ありませんか?

「なんだか、いつも時間に追われている気がする」

「SNSを開いたら、友達の『キラキラした日常』にちょっと心がザワザワ…」

「寝る前についスマホを見ちゃって、気づいたら夜更かし。朝がツラい」

便利なはずのスマホなのに、逆に「スマホ疲れ」しちゃってる。

たくさんの情報を見ているはずなのに、頭はパンパンなのに、心はなんだか満たされていない…。

それ、もしかしたら「情報メタボ」かもしれません。

美味しいものを食べ過ぎて胃がもたれるのと同じで、情報も「受け身」で浴び続けていると、心が消化不良を起こしちゃうんですよね。

私自身、まさにその状態でした。朝起きたらまず通知をチェックし、料理中も「ながら視聴」、寝る直前まで暗い部屋でSNSをスクロール…。いつも何かをインプットしていないと不安で、でも、本当に大切なこと(例えば、子供の話をじっくり聞くとか、夫とゆっくりお茶を飲むとか)に使う「心の余裕」がなくなっていたんです。

これって、私が日本で日々感じている「丁寧な暮らし」や「心のゆとり」といった感覚と、真逆だなぁって。

そんな時、ふと出会ったのが「Intentional Digital Garden(意図的なデジタル・ガーデン)」という考え方でした。

「デジタルな庭?」

なんだかオシャレな響きですが、私が「これだ!」と膝を打ったのは、その中のあるアプローチ法でした。

それが、「京都の庭(Kyoto Garden)」アプローチ

海外の皆さんも、「京都のお寺の庭」と聞くと、どんなイメージが浮かびますか?

例えば、龍安寺(りょうあんじ)の石庭。そこには、派手な花や草木はなくて、ただ白い砂と、ぽつんぽつんと置かれた石があるだけ。でも、そこには「間(ま)」や「余白(よはく)」の美しさ、そして深い「静けさ」がありますよね。

あの庭は、足し算ではなく、徹底的な引き算で作られています。一つ一つの石や砂紋には、すべて「意図」がある。

…翻って、私のスマホの中はどうでしょう?

100を超えるアプリ、鳴りやまない通知、整理されていない写真フォルダ。

それは「京都の庭」どころか、雑草が生い茂り、害虫も住み着いちゃってる「荒れ果てたジャングル」でした(苦笑)。

これじゃあ、心が休まるわけないですよね。

このブログでは、そんな「デジタル・ジャングル」に住んでいた私が、「京都の庭」アプローチをヒントに、自分なりの「デジタルな心の庭」を育てていく実体験(じったいけん)をお話ししたいと思います。

これは単なる「スマホ断捨離テクニック」じゃありません。

情報との付き合い方を見直すことを通して、日本に古くからある「足るを知る」という考え方や、日常の中の「余白」を大切にする人生観(じんせいかん)について、皆さんと一緒に考えていけたら嬉しいです。

「選ぶ」勇気が暮らしを変える。私が実践する「受け身」じゃない情報摂取

前回の「京都の庭」アプローチで、私はスマホに入っていた「雑草」=使っていないアプリや、見るたびに心がザワつく通知設定を、思い切ってバッサリと「剪定(せんてい)」しました。

ホーム画面はスッキリ。まさに龍安寺の石庭のように、必要なアプリだけが静かに鎮座している状態です。

「ふぅー、これで私も『丁寧なデジタル暮らし』デビューだわ」

なんて、スッキリした気分でいたのも束の間。

私、気づいちゃったんです。

「庭」はキレイになったけど、「庭を眺める時間」が全然変わってない、ってことに。

アプリの数は減っても、残った「精鋭」たち(主にSNSやニュースアプリ)を開く頻度は同じ。いや、むしろ「これしか見ない!」と決めた分、一つのアプリを「深掘り」する時間が増えちゃったんです。

朝起きて、子供を起こす前にまずSNSをチェック。

料理中にレシピ動画を見始めたはずが、いつの間にか関連動画のループにはまり、気づけばお湯が沸騰しっぱなし。

夜、寝室で「ちょっとだけ」と開いたインスタで、海外でキラキラ活躍する同世代の投稿を見ては、「それに比べて私は…」と勝手に落ち込む。

結局、物理的な「モノ」は減らせても、情報に振り回される「情報メタボ」体質は、まったく改善されていなかったんです。

これって、冷蔵庫の中身をオーガニック食材で揃えたのに、結局食べるのは深夜のジャンクフード…みたいな感じですよね(苦笑)。

なんでこうなっちゃうんだろう?

それは、私の情報の受け取り方が、完全に「受動的(Passive)」だったから。

テレビのザッピングみたいに、ただただ流れてくる情報を、無防備に、無意識に、浴び続けていたんです。

フックにあった言葉でいう「passively scrolling(受動的なスクロール)」の、まさに典型でした。

海外に住んでいると、日本の「今」が知りたくて、余計にSNSやニュースサイトにアクセスしちゃいませんか?

日本語の活字が恋しかったり、日本のトレンドから取り残されるのが怖かったり。その気持ち、すっごくよく分かります。

でも、その「なんとなく」のスクロールが、私たちの貴重な時間と「心の余裕」を、静かに、でも確実に奪っていくんです。

「このままじゃダメだ。私は『情報』に人生の主導権を渡したくない!」

そう強く思った私が次に取り組んだのが、フックの二つ目、「Mindful consumption of content(マインドフルなコンテンツ消費)」でした。

「マインドフル」って、最近よく聞く言葉ですよね。「今、ここ」に意識を集中する、みたいな。

これを「情報の消費」に当てはめる。

つまり、

「なんとなく浴びる」のをやめて、「『今』の私に必要なものを、意識的に『選んで』取りに行く」

というスタンスに変えることです。

これ、言うのは簡単ですが、実行するのは結構な「勇気」がいりました。

だって、「選ぶ」ってことは、同時に「選ばない(=捨てる)」ことだから。

私が具体的にやった「選ぶ」ためのステップは、大きく分けて3つです。

1.「見る」のではなく「味わう」ためのフォロー整理

まず着手したのは、SNSの「フォロー」の大々的な見直しでした。

これまでは、「知り合いだから」「流行ってるから」「なんとなく」でフォローしていたアカウントもたくさんありました。

でも、本当に見たいのはそれ?

その人の投稿を見るたび、心が温かくなる? 学びがある?

それとも、焦ったり、ザワついたり、時間を無駄にした気になってる?

私は、食べ物にアレルギーがあるかチェックするように、一つ一つのアカウントを「心のアレルギーチェック」していきました。

  • (A)見ると元気が出る、学びがある、純粋に楽しい → 残す
  • (B)昔の知り合いだけど、今の投稿には興味がない → ミュート or フォロー解除
  • (C)見ると心がザワつく、劣等感を感じる(キラキラ系) → 即・フォロー解除
  • (D)企業の広告、お得情報系 → 本当に今必要? → 厳選して残す

これをやったら、驚くことに、インスタやX(旧Twitter)のフォロー数が、半分以下になりました。

最初は「付き合いもあるし…」とか「情報が来なくなったら困るかも…」なんて不安もありました。

でも、思い切って(C)の「心がザワつく」アカウントを解除した時の、あの心の軽さ!

まるで、ずっとキツかった下着を脱ぎ捨てたような(笑)、解放感でした。

タイムラインに流れてくる情報が「ノイズ」から「ごちそう」に変わった瞬間です。

数が減った分、残した(A)のアカウントの投稿を、一つ一つじっくり「味わう」ことができるようになりました。

それこそが、「マインドフルな消費」の第一歩でした。

2.情報の「呼び鈴」を止める。通知は「全部オフ」

次にやったこと。それは、スマホの「通知」を、ほぼ全部オフにしたことです。

(※家族からの緊急電話や、絶対に必要なアラームは除きます)

LINEのポップアップ、SNSの「いいね!」通知、ニュース速報…。

あの「ピコン♪」という音や、画面が光るたび、私たちは無意識に「はい!」と反応させられていました。

料理中でも、子供と遊んでいる最中でも、あの「呼び鈴」が鳴れば、そっちに意識が飛んでしまう。

それって、自分の時間を「スマホ様」に捧げているようなものですよね。

「でも、返信が遅いって思われたらどうしよう…」

海外と日本の時差もあるし、余計に不安になるかもしれません。

でも、よく考えてみてください。

この世の中に、「10分以内に返信しないと大変なことになる用事」って、どれだけありますか?

本当に緊急なら、電話がかかってくるはずです。

通知をオフにすることは、「私は、私のタイミングで情報を取りに行きます」という、静かな「独立宣言」なんです。

これを始めてから、私の「集中力」が劇的に変わりました。

料理なら料理に、子供との会話なら会話に、100%集中できる。

スマホに「中断」させられるストレスがなくなっただけで、一日の終わりに感じる疲労感がまったく違います。

情報は、向こうから「呼び鈴」を鳴らしてやってくるものではなく、自分が必要な時に、自分の足で「玄関」を開けて取りに行くもの。

この意識改革が、私を「受動的」な体質から救い出してくれました。

3.「情報も『地産地消』」のススメ

そして三つ目が、私の中で一番しっくりきた「選び方」の基準です。

それが、「情報も『地産地消(ちさんちしょう)』」という考え方。

「地産地消」って、地元の農家さんが作った新鮮な野菜を、その土地で美味しくいただくことですよね。

これ、情報にも当てはまると思うんです。

私たちはつい、遠くの、派手な情報に目を奪われがちです。

海外のセレブのゴシップ、自分とは縁遠い世界のキラキラした成功譚、大量生産される速報ニュース…。

それって、遠くの国から運ばれてきた、保存料や着色料たっぷりの「加工食品」みたいなものかもしれない。

刺激的で食べた気にはなるけれど、本当に自分の心と体の「栄養」になっているでしょうか?

私が意識し始めたのは、もっと自分の「足元」にある情報です。

  • 自分の「今」の暮らしに役立つ情報(例:日本に住む主婦として、季節の手仕事(梅干しとか)のコツ、地域の美味しいパン屋さん情報)
  • 自分の「心」が本当に豊かになる情報(例:大好きな作家さんのエッセイ、信頼できる専門家(お医者さんや料理研究家)の発信する深い知識)
  • 「顔が見える」情報(例:大量生産のニュース記事より、特定の記者が署名入りで書いたコラム、友人が心を込めて書いたブログ)

これが、私にとっての「情報の地産地消」です。

海外に住んでいる皆さんにとっては、「日本」というくくりが、ある意味「地元」かもしれませんね。

だとしたら、その中でも「本当に自分の生活圏(興味・関心)に近い、新鮮で、作った人の顔が見える情報」を選ぶ。

例えば、日本の流行を知りたくても、ワイドショー的なゴシップを追うのではなく、自分が尊敬する日本のクリエイターや思想家の発信を深く読む。

なんとなく「日本」というキーワードで検索するのをやめて、「日本の●●(例:発酵文化、伝統工芸)について、△△さんが発信している情報」というふうに、「誰が」「何を」発信しているかを意識して選ぶんです。

この「地産地消」を始めてから、情報に「振り回される」ことがなくなり、逆に情報を「使いこなす」感覚が持てるようになりました。

だって、自分が選んだ「新鮮な食材(=情報)」だから、どう「料理(=活用)」したいかが明確なんです。


「なんとなくスクロールする」受動的な生き方から、「意識的に選ぶ」マインドフルな生き方へ。

この「選ぶ」勇気が、私の日常に何をもたらしたか。

それは、**圧倒的な「心の平穏」と「時間の余裕」**でした。

他人と比べてザワザワすることがなくなり、「私は私、これでいいんだ」と思える時間が増えました。

スマホをダラダラ見る時間が減ったことで生まれた「余白」の時間で、積ん読だった本を読んだり、子供とじっくり粘土遊びをしたり、新しい料理に挑戦したり…。

日本には「足るを知る」という美しい言葉があります。

「すでに満たされていることを知る」という意味ですが、情報に関してもまさにこれだ、と。

たくさんの情報を知らなくても、自分に必要な、質の良い情報が少しあれば、心はちゃんと満たされる。

「選ぶ」ことを通して、私はその感覚をようやく掴むことができた気がします。

「京都の庭」は、アプリを減らしただけでは完成しませんでした。

そこに流れる「空気」=日々受け取る情報そのものを、自分で意識的に「選ぶ」勇気を持って初めて、心が静かに座れる「庭」になっていくんですね。

さて、こうして「庭」を整え、「庭」に入れる情報も厳選できるようになりました。

でも、まだ何か足りない。

そうです。

どんなに美しい庭でも、ずっと眺め続けていたら疲れてしまいます。

庭には、何も植えられていない「余白」…日本建築でいう「縁側(えんがわ)」のような、ぼーっとできる場所が必要ですよね。

次回は、あえてスマホに触らない「デジタル・フリーゾーン」を日常にどう設けているか。

「何もしない」時間こそがもたらしてくれる、人生の知恵についてお話ししたいと思います。

「何もしない」が私を救う。スマホを「玄関」に脱ぎ捨てる勇気

1.「場所」の境界線:「スマホの定位置」は“玄関”です

まず決めたのは、「スマホにも『靴』を履かせる」というマイルールです。

え、どういうこと?って感じですよね(笑)。

私たちって、家に帰ったら、まず玄関で靴を脱ぎますよね。

土足で寝室まで上がったり、食卓についたりは、絶対にしない。

「外」で履いていた靴は、「外」の汚れや雑菌がついているから。

…あれ、スマホも同じじゃない?

スマホって、「外(社会)」の情報や、時には見知らぬ人のイライラ、仕事の緊張感を、全部くっつけて持ち歩いている「心の靴」みたいなものだ、と思ったんです。

それを、家族団らんの象徴である「食卓」や、一日をリセットする神聖な場所である「寝室」にまで、土足ならぬ「スマホ足」で持ち込んでいいんだろうか。

そこで、私は決めました。

「食卓と寝室には、スマホ持ち込み禁止」

リビングに「スマホ専用の充電ステーション」を設置。

そこが、スマホの「玄関」です。

家に帰ったら(あるいは、食事の時間になったら)、スマホをそこに「脱いで」置く。

正直、これ、最初の1週間は地獄でした(笑)。

食事中、シーンとすると、つい手持ち無沙汰でスマホに手が伸びそうになる。

「あのレシピ、なんだっけ?」

「今日のニュースで…」

と、会話の途中で「検索」したくて、指がムズムズする。

子供たちからも「ママだって前は見てたじゃん!」とブーイングの嵐。

でも、そこをグッとこらえて。

「今は、目の前の家族と、目の前のご飯に集中する時間!」

と宣言しました。

すると、3日目くらいから、変化が起きたんです。

スマホがないから、必然的に、会話をするしかない。

「今日の給食、何だった?」

「パパの会社、今日はどうだった?」

たわいもない、でも一番大切な会話が、食卓に戻ってきました。

何より、ご飯が美味しく感じられるようになった!

「ながら食べ」じゃなく、ちゃんと「味わって」食べる。

子供が「今日の人参、甘いね」なんて言うようになったのは、このルールのおかげです。

そして、寝室。

これが一番効果テキメンでした。

「アラームかけてるから」を言い訳に、枕元に置いていたスマホ。

寝る前の「ちょっとだけ」が、気づけば1時間の「SNSパトロール」になり、脳がギンギンに冴え渡って寝付けない…あの最悪のループ。

思い切って、スマホはリビングの「玄関」に。

寝室には、子供の頃に使っていたような、1000円の「目覚まし時計」を置きました。

結果、どうなったか。

びっくりするくらい、よく眠れるようになりました。

寝る前にすることがないので、自然と夫と今日あったことを話したり、積ん読だった紙の本を数ページ読んだり。

そうこうするうちに、ストンと眠りに落ちている。

ブルーライトを浴びないだけで、こんなに睡眠の質が違うのかと、自分の体で実感しました。

2.「時間」の境界線:「デジタルのれん」を上げ下げする

場所の境界線の次は、「時間」の境界線です。

お店が「のれん」を上げたり下げたりして、「営業時間」と「準備中」を分ける、あの感覚です。

私が決めた「営業時間」は、以下の2つ。

① 朝一番の「ゴールデンタイム」は私のもの

海外に住んでいると、日本との時差で、朝起きた瞬間に通知がドバっと来ていること、ありませんか?

朝、目覚めて一番最初に触るのがスマホ。

「緊急の連絡は?」

「昨日のSNSの反応は?」

と、自分の「心の準備」ができる前に、いきなり「外」の情報を頭に流し込んでしまう。

これ、一日の始まりとして、最悪だったんです。

朝から他人のニュースや機嫌に振り回されて、自分の「今日」が始まっちゃう。

だから、ルール変更。

「起きてから1時間は、スマホに触らない」

(※本当に緊急の電話は別です)

その1時間で何をするか?

「何もしない」をするんです。

カーテンを開けて、朝日を浴びる。

白湯(さゆ)を一杯、ゆっくり飲む。

ベランダに出て、空気を吸う。

子供の寝顔を、ただ眺める。

この「何もしない時間」が、私にとっての「心の調律」になりました。

他人の情報じゃなく、「今日の天気」「今日の私の体調」という「内なる情報」に耳を澄ませる。

この「デジタルのれんが閉まっている時間」があるだけで、一日を「自分軸」でスタートできる感覚があります。

② 夜の「デジタル門限」

寝室に持ち込まないルールと連動しますが、夜9時(これは家庭によって違ってOK!)を「デジタル門限」と決めました。

9時になったら、SNSも、ニュースチェックも、ネットサーフィンも、おしまい。

スマホを「玄関」に置いて、リビングの明かりを少し暗くします。

そこからは、「内」の時間。

子供と絵本を読んだり、お風呂にゆっくり浸かったり、ストレッチをしたり。

意識的に、脳を「オフライン」モードに切り替えていく。

この「門限」があるおかげで、「ダラダラ夜更かし」がなくなり、生活にメリハリが生まれました。


この「境界線」づくりは、はっきり言って「自分との戦い」です。

便利なものから距離を置くのは、不安だし、不便に感じることもあります。

でも、この「境界線」が引けた時、私は「スマホ疲れ」から解放されただけでなく、もっと大切なものを見つけました。

それは、日本文化がずっと大切にしてきた「余白(よはく)」の感覚です。

水墨画(すいぼくが)は、描かれていない「余白」の部分があるからこそ、描かれたものが際立ちます。

茶室は、余計な装飾がない「がらんとした空間」だからこそ、心が研ぎ澄まされます。

私たちの毎日も、同じ。

スケジュールと情報でギチギチに埋め尽くされていたら、息が詰まってしまう。

あえて「何もしない」「情報も入れない」という「余白」の時間と場所を作ること。

その「余白」でこそ、私たちは本当に大切なこと――家族の笑顔、季節の匂い、そして「私、今、幸せだな」という静かな実感――に気づくことができるんじゃないでしょうか。

「デジタルな庭」を整え、「情報」を選び、そして「境界線」を引いた。

これで私の「デジタルな暮らし」は完成…したように見えました。

でも、この「庭」づくりを通して、私が本当に学んだ「人生術」は、また別のお話。

次回は、この「庭」を育てて見えた、テクノロジーと上手に付き合いながら、自分らしく豊かに生きるための「心の持ち方」について、いよいよ「結び」としてお話ししたいと思います。

「庭」を育てて見えたもの。テクノロジーと上手に付き合う「余白」の美学

スマホの中身を整理して、情報との距離感を調整して…。

私が手に入れたかったのは、一体なんだったんだろう?

単に「スマホ疲れから解放されたい」だけだったんでしょうか。

このブログを書きながら、ずっと考えていました。

そして、たどり着いた答えは、とてもシンプルなことでした。

それは、「スマホに『使われる』人生」をやめて、「スマホを『使いこなす』人生」を取り戻したかったんだ、ということです。

皆さんは、日本の「付喪神(つくもがみ)」という考え方をご存知ですか?

日本人は古くから、使い古した道具にも「魂」が宿ると考えてきました。

大切に使われてきた茶碗や傘が、100年経つと妖怪のようなものになる、という民話です。

これは、「道具を大切にしましょう」という教えであると同時に、私は「道具は、あくまで道具である」という、日本人ならではのクールな線引きの表れでもあると思うんです。

どんなに便利でも、どんなに愛着があっても、それは「道具」。

決して「ご主人様」ではない。

でも、現代の私たちはどうでしょう?

スマホという「最強の道具」を手に入れたはずが、いつの間にか、その「道具」に魂を乗っ取られていませんか?

「ピコン♪」と鳴れば、ご主人様(スマホ)の呼び出しに、即座に反応する「召使い」のように。

ご主人様(スマホ)が見せてくれる「キラキラした世界」と、自分のリアルな生活を比べては、勝手に落ち込む「奴隷」のように。

私は、まさにその状態でした。

「京都の庭」だの「マインドフルネス」だの言っても、結局は「スマホのご機Cを伺う」ことになっていたんです。

この「庭」づくりは、私にとって、スマホという「最強の道具」との「主従関係」をひっくり返す、静かな「革命」でした。

「私が、主人。あなたが、道具。」

「私が幸せになるために、あなたを使う。」

アプリを消し、通知を切り、境界線を引くという一連の作業は、この「主権」を取り戻すための儀式だったんだな、と今なら分かります。

そして、この「主権」を取り戻した時。

私が「転」で手に入れた「余白(よはく)」は、単なる「空き時間」ではなく、まったく違う意味を持ち始めました。

スマホを「玄関」に置き、食卓につく。

寝る前に、スマホではなく、紙の本をめくる。

朝起きて、通知ではなく、窓の外の空を見る。

そうして生まれた「余白」に、何が入ってきたと思いますか?

それは、「今、ここにある、私だけのリアルな幸せ」でした。

海外で暮らしていると、どうしても「日本」が恋しくなったり、「外」の世界から取り残されるのが怖かったりして、必死にスマホを握りしめてしまいますよね。

私もそうでした。遠い日本で起きていること、日本のトレンド、友人たちの動向…。

「外」の情報で自分を埋め尽くしていないと、不安で仕方なかった。

でも、スマホを手放した「余白」で私が見つけたのは、

「あ、今日のご飯、お米がツヤツヤに炊けてるな」

「子供、こんな字が書けるようになったんだ」

「夫、疲れてるみたいだけど、私の作った味噌汁を『美味しい』って言ってくれたな」

「窓から入る西日が、こんなにキレイだったんだな」

…という、あまりにも当たり前で、見過ごしていた「幸せ」の数々でした。

これって、日本古来の「足るを知る」という感覚そのものだ、と思ったんです。

「足るを知る」とは、モノや情報を「これ以上いらない」と我慢することじゃありません。

それは、「外に求めなくても、私は『今、ここ』で、もう十分に満たされている」と気づくこと。

その「気づき」を得るために必要なのが、まさに「余白」だったんです。

情報という「ノイズ」を遮断し、自分の五感をフルに使って「今」を味わうための、静かな時間と空間。

テクノロジーは、私たちに「どこでもドア」をくれました。

地球の裏側の情報も、瞬時に手に入る。

でも、私たちは「どこでもドア」を手に入れた代わりに、「今、ここの玄関」から一歩も出なくなっていたのかもしれません。


私の「デジタルな庭」づくりは、これで終わりではありません。

「京都の庭」が、毎日人の手で掃き清められ、石が磨かれ、苔が手入れされて、あの美しさを保っているのと同じです。

私の「庭」も、放っておけば、またすぐに「雑草」は生えてきます。

気づけば「なんとなく」フォローしたアカウントが増え、寝室にスマホを持ち込み、ダラダラと夜更かししてしまう日も、きっと来るでしょう。

でも、それでいいんだと思っています。

大切なのは、「完璧な庭」を一度作って維持することじゃない。

「あ、今ちょっと荒れてるな」「心がザワついてるな」と気づいた時に、何度でも「手入れ」をすればいい。

その「手入れ」の時間こそが、

「私にとって、今、本当に大切なものは何だっけ?」

と、自分自身と向き合う、最高に「マインドフルな時間」になるんですから。

海外という、日本とは違う環境で、毎日家族のために奮闘されている皆さん。

たくさんの情報に囲まれて、ちょっと「情報メタボ」気味かも…と感じたら。

まずは、ほんの小さな「境界線」から引いてみませんか?

例えば、今日のご飯の時だけ、スマホを食卓の「外」に置いてみる。

それだけで、いつもより、ご飯の味が濃く感じられるかもしれません。

お子さんの、ちょっとした表情の変化に気づけるかもしれません。

私たちの人生は、「スマホの画面」の中にあるんじゃなく、目の前の「リアルな日常」の中にこそ、転がっています。

便利な「道具」とは上手に付き合いながら、私たち自身の「主権」で、「今、ここ」にある豊かさを味わい尽くす。

それこそが、情報過多の時代を生き抜く、私たちなりの「人生術」なんじゃないかな、と思っています。

皆さんの「デジタルな庭」は、今、どんな景色ですか?

もしよければ、皆さんの「庭」づくりの工夫も、ぜひ聞かせてくださいね。

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