「完璧」を手放す勇気。日本の「わびさび」に学ぶ、心地よいワークライフ・”フロー”の見つけ方

 1. 「今日も完璧」の呪い:ピカピカな理想と、ぐちゃぐちゃな現実

(※ご要望に基づき、この「起」の部分だけで約3000文字で構成しています)

海外で暮らす主婦のみなさん、こんにちは!そして、日本のちょっとディープな文化に興味を持ってくださっているみなさん、ようこそ。日本で、日々、洗濯物と締め切りと「今日のご飯なに?」という家族からのプレッシャー(笑)と戦っております、しがない主婦ブロガーです。

さて、突然ですが、みなさん「今日も完璧な一日だった!」と心から思える日って、一年のうちに何日くらいありますか?

……え? ほぼ無い? ですよね!私もです(笑)。

特に海外で暮らしていると、日本にいる時とはまた違った種類の「完璧さ」を求められませんか? 言葉の壁があるからこそ、手続きはミスなく完璧にこなしたい。文化が違うからこそ、子どもの学校行事やご近所付き合いも「ちゃんとしたお母さん」として振る舞いたい。それに加えて、今の時代はSNSを開けば、世界中の「素敵な暮らし」が否応なく目に入ってきます。

ピカピカに磨かれたキッチン。オーガニック素材で彩られた朝食プレート。静かにヨガをする朝の時間。完璧にスケジュール管理された「ワークライフ・バランス」。

そういうのを見るたびに、私、ため息が出ちゃうんです。「あーあ、それに比べて私ときたら……」って。

今朝だって、そうでした。

今日は朝から集中して、このブログ記事を書き上げるぞ!と意気込んでいたんです。コーヒーを淹れて、さあパソコンに向かうぞ、というその瞬間。

「ママ、水筒忘れた!!!」

玄関から、すでに家を出たはずの息子の声。時計を見れば、もう登校班の集合時間ギリギリ。

「えーー!昨日あれほど確認しなさいって言ったのに!」

イラっとしながらも、キッチンで水筒を探し、麦茶を(焦って半分こぼしながら)注ぎ、ダッシュで玄関に届ける。

「ふう……」

やっと一息ついて、冷めかけたコーヒーを一口。パソコンの前に座り直した、その時。

ピンポーン。

「……はい?」

宅配便です。しかも、よりによって「代引き」。在宅ワーク用のデスクを新調したんですが、その支払いだったことをすっかり忘れていました。慌てて財布を探すも見当たらず、結局、普段使わない貯金箱(息子の100円玉貯金)をひっくり返して、なんとかドライバーさんに支払う始末。

もう、この時点で、私の「完璧な午前中」プランは木っp……いや、粉々です。

「生産性」なんて言葉、どこの辞書に載ってましたっけ?というレベル。

午前10時にして、すでに疲労困憊。「あー、もう今日はダメだ。何もやる気しない……」と、ソファに倒れ込みたくなりました。

こういう時、私たちってすごく「自分を責め」ちゃいませんか?

「なんで水筒、昨日のうちに準備させておかなかったんだろう」

「なんで代引きのこと、カレンダーに書いておかなかったんだろう」

「私って、なんて段取りが悪いんだろう」

そう。「完璧な一日」という理想像があって、そこから少しでも外れると、すべてが「失敗」に思えてしまう。この「完璧」の呪いって、本当に強力ですよね。

特に「ワークライフ・バランス」という言葉。

これ、美しくて、理想的で、誰もが目指すべきもの、みたいに聞こえます。

でも、この「バランス」という言葉が、実は私たちを一番苦しめているんじゃないか、と最近思うんです。

バランスって、天秤みたいに、仕事と生活が「ピッタリ50:50」で釣り合っている状態をイメージしませんか?

でも、実生活って、そんな風にキッチリ分けられますか?

子どもが熱を出せば、生活が100%になる日もある。

大きなプロジェクトの締め切り前は、仕事が90%になる日もある。

そもそも、主婦の「生活(家事・育児)」って、それ自体が24時間体制の「仕事」みたいなものじゃないですか。

「バランスを取らなきゃ」と意識すればするほど、その天秤が少しでも傾くたびに、「ああ、バランスが崩れた!」「私、ダメだ!」って、ストレスが溜まっていく。

そして、「生産性」という言葉。

これも、なかなかのクセモノです。

「どれだけ多くのタスクを、いかに効率よくこなしたか」

そればっかりが「価値」になってしまって、「何もしない時間」や「ぼーっとする時間」、それこそ、さっきの私みたいに「予期せぬ中断(disruption)」に対応している時間は、「生産性のない、無駄な時間」として切り捨てられてしまう。

でも、本当にそうでしょうか?

水筒を忘れた息子にイライラしたけど、玄関先で「ママ、ありがとう!助かった!」と満面の笑みで言われた瞬間、ちょっと心が温かくなったのは事実です。

代引きの支払いでバタバタしたけど、おかげで新しいデスクが届いて、今、この記事を(やっと)快適な環境で書けています。

もし、私の「完璧なスケジュール」が妨害されなかったら、私は今、この「完璧さの呪い」について、こんなにリアルな実感を込めて書くことはできなかったかもしれません。

そう。ここで私がみなさんにお伝えしたい、日本ならではの「人生の知恵」が出てきます。

それが、今回のテーマである**「わびさび(Wabi-Sabi)」**という考え方です。

「わびさび? ああ、なんか古い茶器とか、苔むしたお庭とか、そういうやつ?」

そう思った方、正解です。でも、半分だけ。

「わびさび」は、日本人の美意識の根底にある、とっても深くて、そしてとっても実用的な「人生術」だと、私は思っています。

すごく簡単に、私なりの解釈で言ってしまうと、

「完璧じゃないもの、欠けているもの、移ろいゆくものの中にこそ、本当の美しさや豊かさがある」

という考え方です。

ピカピカの新品のカップよりも、少し欠けていたり、ヒビが入っていたりするけれど、長年使い込まれて手に馴染むカップ。

満開の桜も美しいけれど、ハラハラと散っていく花びらや、葉桜の力強さ。

そういうものに、私たちは「グッ」とくる。

これって、私たちの「日常」や「ワークライフ」にも、そのまま当てはめられるんじゃないでしょうか?

SNSに載っているような、完璧に「生産的」で「バランスの取れた」ツルツルの人生。

それも、まあ、素敵かもしれないけれど。

予期せぬトラブル(息子の水筒忘れ)でヒビが入り、

予定外の中断(代引き)でスケジュールが歪み、

「完璧」とは程遠い、ちょっと不格好で、ぐちゃぐちゃな、私たちの日々。

その「ぐちゃぐちゃ」こそが、実はすごく人間らしくて、愛おしくて、そこからしか生まれない「創造性」や「気付き」があるんじゃないか。

その「欠け」や「歪み」を、無理に隠したり、矯正したりするんじゃなくて、「ああ、これも私の一日だね」と受け入れてみる。

「ワークライフ・バランス(均衡)」を必死で取るんじゃなくて、

「ワークライフ・フロー(流れ)」に、しなやかに乗ってみる。

時には、激流に飲まれて(笑)、予期せぬ場所にたどり着くことすら、楽しんでみる。

今回のブログでは、この「わびさび」という日本の古い知恵をヒントに、「完璧」の呪いを解いて、もっと肩の力を抜いて、私たちなりの「心地よい流れ」を見つける方法を、私の実体験ベースで、みなさんと一緒に考えていきたいと思います。

まずは、この息苦しい「完璧さ」や「生産性」の定義を、一緒に見直してみませんか?

というわけで、この「起」では、私たちが日々直面している「理想と現実のギャップ」、その息苦しさについて、じっくりと共有してみました。

次の「承」では、じゃあ具体的に「わびさび」って何? それがどう「ダウンタイム(何もしない時間)」や「予期せぬ中断」の価値と繋がるの?という話を、もっと深く掘り下げていきますね。

 2. 「わびさび」って、ただ古いだけ?:余白と「何もしない」価値

(※ご要望に基づき、この「承」の部分だけで約3000文字で構成しています)

みなさん、こんにちは! 引き続き、日本からお届けしております。

「起」の記事では、「今日も完璧な一日を!」というピカピカの理想とは裏腹に、息子の水筒忘れや突然の代引き訪問といった「予期せぬ中断」によって、いとも簡単に崩れ去る私たちの(少なくとも私の)日常について、赤裸々にお話ししました。

そして、「ワークライフ・バランス」という言葉が持つ「完璧な均衡」へのプレッシャーや、「生産性」という言葉が私たちから「ぼーっとする時間」を奪っていく息苦しさ。

その呪いを解くカギとして、日本の伝統的な美意識である**「わびさび(Wabi-Sabi)」**というキーワードを提示させていただきました。

「いやいや、わびさびって言われても……。なんか、古くさい、茶色い、地味なやつでしょ?」

「苔むした石とか、欠けた茶碗とかが、なんで私たちの『ワークライフ・フロー』に関係あるの?」

そう思われた方、多いと思います。

わかります。私も、ほんの数年前まで、「わびさび」なんて、京都の高級料亭とか、お茶の先生とか、そういう「意識高い系(?)」の世界の話だと思っていましたから。

でも、この「わびさび」の本当の意味を知った時、私、目からウロコがボロボロと落ちたんです。

「え、これって、私たちが日々感じてる『生きづらさ』を軽くしてくれる、最強の人生術じゃん!」って。

今日は、この「わびさび」の正体と、それがどう私たちの「生産性」の定義をひっくり返してくれるのか、というお話を、じっくりと深掘りさせてください。

まず、「わびさび」を分解してみましょう。

**「わび(侘び)」って、もともと「わびしい(侘しい)」という言葉から来ています。

「わびしい」と聞くと、なんだかネガティブなイメージですよね。貧しいとか、みすぼらしいとか、満たされない感じ。

でも、昔の日本の人たちは、その「満たされない、不足している状態」を、ただ嘆くんじゃなかったんです。

「すべてが揃っていないからこそ、工夫する楽しみがある」

「完璧じゃないからこそ、心が自由になれる」

そんな風に、「不足や不便さの中にこそ、シンプルで豊かな心のあり方を見出す」**という、超ポジティブなマインドセットに転換させたんです。

これが「わび」の精神。

次に、「さび(寂び)」。

これは、時間の経過によって生まれる美しさのこと。「錆(さび)」も、もとは同じ言葉です。

新品ピカピカの金属もいいけれど、雨風にさらされて、少しずつ色合いが変わり、独特の風合い(錆)が出てきた金属に、なんとも言えない趣を感じる。

使い込まれた木の柱、何度も修理されてきた器、人の肌のシワ。

これらはすべて、時間が作り出した「さび」の美しさです。**「移ろいゆくもの、滅びゆくもの、その過程にこそ宿る、内側から滲み出るような美しさ」**を愛でる心。

つまり、「わびさび」とは、

「完璧じゃないこと(わび)も、時間が経って変化していくこと(さび)も、全部ひっくるめて『それがイイじゃん!』と受け入れる、超・しなやかな哲学」

なんです。

どうでしょう?

「古くさい、地味なやつ」というイメージ、少し変わりませんか?

むしろ、完璧主義とアンチエイジング(?)に追われる現代の私たちにこそ、必要な考え方だと思いませんか?

さて、この「わびさび」マインドを持って、もう一度、私たちの日常と「生産性」という言葉に向き合ってみましょう。

「起」でも書きましたが、これまでの「生産性」の定義って、完全に「わびさび」の真逆でした。

「いかに多くのタスクを(完璧に)」

「いかに速く(時間をかけず)」

「いかにミスなく(欠けやムラなく)」

こなすか。

この定義でいくと、「ぼーっとする時間」や「何もしない休憩(ダウンタイム)」は、生産性の敵、以外の何物でもありません。

だって、タスクリスト、一つも進みませんから。

私、昔は本当に「生産性モンスター」でした。

主婦業と在宅ワークを両立させるために、分刻みのスケジュール帳を愛用し、家事も育児も仕事も「いかに効率よく回すか」だけを考えていました。

キッチンタイマーを3つ同時に鳴らし、洗濯機を回しながら、メールをチェックし、野菜を切る。

子どもが「ママ、あのね…」と話しかけてきても、「ごめん、今忙しい! 5分待って!」と、その「5分」が永遠に来ない(笑)。

タスクリストが全部消えた夜は、達成感でいっぱい。

でも、心は?

なんだか、すっごくカラカラに乾いているんです。

常に何かに追われていて、息が浅い感じ。

「私、なんのためにこんなに頑張ってるんだっけ……?」

夜、夫や子どもの寝顔を見ながら、ふと虚しくなる。

そんな時、「わびさび」の考え方に出会ったんです。

「わびさび」は、「不足」や「不便」を良しとする。

ということは、**「すべてを今日やる必要はない」し、「スケジュール帳が埋まってなくてもいい」ってことですよね。

むしろ、「わびさび」の美学では「余白(よはく)」**がめちゃくちゃ大事にされます。

例えば、日本の水墨画。

画面いっぱいに真っ黒に描かれた絵って、なんだか息苦しくないですか?

あえて何も描かない「余白」があるからこそ、そこに描かれた一本の竹が際立ち、見る人はその「余白」に霧や風や、無限の奥行きを感じることができる。

茶室もそうです。

西洋のお城みたいに、豪華な家具や装飾でギチギチに埋め尽くすのではなく、あえて必要最低限のものだけを置き、がらんとした「余白」を大切にする。その「何もない」空間にいるからこそ、一輪の花の美しさや、お茶の湯気の音に、深く集中できる。

これ、私たちの日常や「生産性」にも、まったく同じことが言えるんです。

タスクでギチギチに埋め尽くされた一日。

それは一見「生産性が高い」ように見えて、実は水墨画でいう「真っ黒な絵」と同じ。心が休まる「余白」がないから、息苦しい。

そこで、あえて「何もしない時間(ダウンタイム)」や「一息つく瞬間(ポーズ)」を、スケジュールの中に「価値ある余白」として書き込んでみる。

これが、**「わびさび的・生産性の再定義」**です。

「え? でも、ただ休んでるだけでしょ? それが何の価値になるの?」

なります。めちゃくちゃ、なります。

具体的に、私の生活でどう変わったか、お話ししますね。

<価値あるダウンタイム その1:煮物とアイデア>

日本の家庭料理に「煮物」がありますよね。大根とか、カボチャとか。

煮物って、美味しく作るコツ、なんだか知ってますか?

もちろん、良い出汁とか調味料も大事なんですけど、一番の秘訣は、

「火を止めて、冷ます時間」

なんです。

グツグツ煮ている間は、実はそんなに味って染み込まない。火を止めて、ゆっくりと温度が下がっていく、その「何もしない」時間(=ダウンタイム)に、具材は出汁の旨味をグーッと吸い込むんです。

これ、私たちの頭もまったく同じだと思いませんか?

仕事や勉強で、情報を詰め込んで、頭をフル回転させている時(=グツグツ煮ている時)。

もちろん、それは大事。

でも、そのインプットだけを続けても、なかなか「味が染み込まない」。つまり、情報が知識や知恵として定着しなかったり、良いアイデアが浮かばなかったりする。

本当に良いアイデアや、「あ、そうか!」という深い気付きって、

お風呂に入って、ふーっと息をついた瞬間とか、

近所を目的もなく散歩している時とか、

食器を洗いながら、窓の外をぼーっと眺めている時とか、

そういう「火を止めている」瞬間に、ふっと降りてきませんか?

私は、在宅ワークで行き詰まったら、昔は「だめだ、もっと集中しなきゃ!」とパソコンの前で粘り続けていました。

でも今は、スパッとやめます。

そして、あえて「煮物の時間」を取る。

ベランダに出て、ハーブに水をやったり、コーヒーを淹れて、その香りだけを5分間味わったりする。

一見、「生産性ゼロ」の時間です。

でも、その「余白」のおかげで、頭の中の情報が整理されて、席に戻った時に「あ、こう書けばいいんだ!」と、煮詰まっていたアイデアがスルスルと出てくる。

これは「無駄な時間」じゃなくて、美味しい煮物を作るための「冷ます時間」と同じ。**「アイデアを熟成させるための、価値あるダウンタイム」**なんです。

<価値あるダウンタイム その2:息子の「どうでもいい話」>

「起」で、水筒を忘れた息子の話をしました。

以前の「生産性モンスター」だった私なら、

「ママ、今日ね、学校でね…」

と息子が帰ってくるなり話しかけてきても、

「ちょっと待って! 今メール返してるから! 大事な話!? そうでもないなら後で!」

と、バッサリ切り捨てていました。

だって、「生産性」ないじゃないですか、子どもの他愛もない話って(ひどい。笑)。

でも、「わびさび」は「完璧じゃないこと」を受け入れる哲学。

私の「完璧な仕事スケジュール」が、子どもの「どうでもいい話」によって中断されること。

それも「まあ、いっか」と受け入れてみる。

火を止めて、パソコンから顔を上げて、息子の目を見て、「へえ、それで?」と相槌を打つ。

その5分、10分。

私のタスクリストは、確かに1ミリも進みません。

でも、その「生産性のない」時間で、何が育まれているか。

息子の満足そうな顔。私への信頼感。「話を聞いてもらえた」という安心感。

これって、タスクリストを一つ消すことより、よっぽど「価値」がありませんか?

「関係性を育むための、価値あるポーズ」。

これもまた、「わびさび」が教えてくれた、新しい「生産性」の形です。

タスクをこなすことだけが、生産性じゃない。

心をチャージすること。

アイデアを熟成させること。

大切な人との関係を育むこと。

これらを実現するために必要な「ぼーっとする時間」や「何もしない余白」は、決して「無駄」ではなく、むしろ**「長期的な豊かさ(=真の生産性)」を生み出すための、最も重要な時間**なんです。

これが、私がたどり着いた、「わびさび」に学ぶ「ダウンタイム(余白)」の価値です。

……と、ここまで「余白」の重要性について熱く語ってきました。

「なるほど、ぼーっとする時間も大事なのね。わかったわ」

と思っていただけたかもしれません。

でも。

でもですよ、奥さん(誰)。

現実の私たちは、「よし、今から優雅に“余白”を取るわよ」なんて時間を、なかなか持てないじゃないですか。

「余白」どころか、「起」の私のように、次から次へと「予期せぬ中断(disruption)」が襲いかかってくる。

電話が鳴る、子どもが泣く、ピンポンが鳴る、牛乳をこぼす……。

「ああもう! 私の“余白”はどこ行ったのよ!」

そう、問題はそこですよね。

「わびさび」の教えは、これで終わりじゃないんです。

次の「転」では、この私たちをイライラさせる「予期せぬ中断」こそが、実は「創造性」の最大のチャンスなんだ、という、さらに一歩進んだ「わびさび・フロー」の極意について、お話ししたいと思います。

3. 「バランス」より「フロー」:その”中断”は、創造の種かもしれない

(※ご要望に基づき、この「転」の部分だけで約3000文字で構成しています)

みなさん、こんにちは! 日本の主婦ブロガーです。

「起」では、息子の水筒忘れや代引き訪問に振り回される「完璧とは程遠い」私の日常と、それが生む息苦しさについて。

「承」では、その息苦しさを解くカギとしての「わびさび」の正体、つまり「不完全さ(わび)」と「変化(さび)」を受け入れる哲学と、それによって「何もしない時間(ダウンタイム)」が、アイデアを熟成させたり、関係性を育んだりするための「価値ある余白」に変わる、というお話をしてきました。

「なるほどね、わかったわ。ぼーっとする時間も、大事な“インプット”なのね」

と、ここまでは、比較的すんなり「うんうん」と頷いていただけたかもしれません。

でも、問題はここからです。

「承」の最後にも書きましたが、私たちのリアルな日常は、「さあ、今から優雅に“余白”を取るわよ」なんて、そんな生易しいものじゃない。

現実は、「価値ある余白」どころか、息つく暇もないほどの**「予期せぬ中断(minor disruptions)」**の嵐!!

「ママ、のど渇いた!」

「あ、トイレットペーパー切れてる!」

(仕事のチャット通知音)ピコン!

(洗濯機の終了音)ピーピーピー!

(犬が何かを察知して)ワンワンワン!

「あああ、もうっ! 静かにさせて! 私の“余白”はどこ行ったのよ!!」

……と、叫びたくなること、一日に何回ありますか? 私は、まあ、10回くらいあります(笑)。

「承」で語ったような「煮物を冷ます時間」なんて、夢のまた夢。煮込む前に火を消されてる、みたいな。

この、私たちをイライラさせる「中断」や「予期せぬ変化」。

これこそが、「完璧なワークライフ・バランス」を目指す上で、最大の「敵」ですよね。

でも。

もし、ですよ。

もし、この**「敵」だと思っていた「中断」こそが、「わびさび」の哲学が最も輝く瞬間であり、私たちが新しい何かを生み出すための、最大の「チャンス」だったとしたら?**

今日は、ここからが本題。「転」です。

この「中断」に対する見方を、180度ひっくり返してみたいと思います。

私たちが「中断」に遭遇した時、反応はだいたい2つに分かれます。

ひとつは、「完璧主義」の反応。

「中断」は、自分の完璧な計画を妨害する「敵」であり、「失敗」です。

だから、イライラする。「なんで今なの!」「私の時間を返して!」と、邪魔してきた相手や、うまく管理できなかった自分を責める。

そして、必死になって、元のスケジュール、元のレールに戻ろうと焦ります。

結果、どうなるか。

ものすごく疲弊します。ストレスはマックス。たとえ力ずくで元のレールに戻れたとしても、心はささくれ立っていて、とても「創造的(クリエイティブ)」な状態とは言えません。

もうひとつが、「わびさび」的な反応。

「中断」は、「敵」ではありません。

それは、**「変化の兆し」であり、「予期せぬ来客」**みたいなもの。

「お、そう来たか」「あらあら、いらっしゃい」と、とりあえず、その存在を一旦「受け入れる」。

もちろん、人間ですから「うわ、来たよ…」と一瞬はイラっとしますよ(笑)。そこは聖人君子じゃないので。

でも、「この中断は“悪”だ」と決めつけない。

元のレールに固執するのをやめてみる。「じゃあ、この“来客”と、どう付き合おうか?」と、新しい流れに意識を向けてみる。

これが、「バランス」ではなく**「フロー(流れ)」**という考え方です。

「ワークライフ・バランス」は、天秤のように50:50の「静止した完璧な状態」を目指します。だから、天秤を揺らす「中断」は「悪」なんです。

でも、「ワークライフ・フロー」は、川の流れのイメージ。

川って、源流から海まで、まっっっすぐ、何の障害もなく流れている川なんて、この世にありませんよね。

必ず、**「岩」**があります。

「岩」(=中断)にぶつかった時、川は「キーッ! なんで岩があんのよ!」と怒って、流れを止めますか?

止めませんよね。

岩にぶつかって、流れを二手に分けたり、岩を回り込んだり、時には岩を乗り越えて水しぶきを上げたりしながら、必ず、新しい流れを作って、また海へと進んでいく。

私たちの日々も、これでいいんじゃないか。

「中断」という「岩」は、流れを妨害する「敵」であると同時に、**流れの向きを変えたり、美しい水しぶき(=ひらめきや創造性)を生んだりする「きっかけ」**でもある。

「そんなの、言葉遊びでしょ」

「実際、子どものお世話で中断されたら、イライラするだけだよ」

そう思いますよね。

だから、私の「実体験」をお話しさせてください。

私が、「中断(岩)」にぶつかって、「水しぶき(ひらめき)」が上がった瞬間の話です。

<実体験1:雑巾と、裏通りの金物屋>

ある日の午後。

まさに今のように、集中してブログ記事を書き始めた、その矢先でした。

学校から帰ってきた息子が、リビングに入るなり叫びました。

「ママ! ごめん! 絵の具セットに入れる雑巾、明日必要だった!」

……来ました。「中断」の岩です。

しかも、デカい。

「起」の冒頭で「水筒忘れた!」と叫んだ、あの息子と同一人物です(笑)。

以前の「完璧主義」だった私なら、どうしていたか。

「はぁ!? 昨日あれほど確認しなさいって言ったでしょ!!」

と、まずブチ切れます。

そして、イライラしながら、舌打ち混じりに一番近くの100円ショップへ自転車で爆走。雑巾だけを掴んで、最短距離でトンボ返り。

家に戻っても、アドレナリンが出まくっているので、イライラは収まりません。

「あの子のせいで、集中力も時間も奪われた!」

パソコンの前に座り直しても、怒りで頭がいっぱいで、結局、その日は一行も記事が書けませんでした。計画は「失敗」です。

さて、「わびさび・フロー」を意識し始めた、今の私はどうしたか。

「ママ! ごめん! 雑巾!」

「……お、そう来たか」(心の声)

イラっとはしますよ、もちろん(笑)。「またかよ!」って。

でも、そこで「この中断は敵だ」と決めつけない。

「はいはい、わかったよ。雑巾ね。じゃあ、買いに行きますか」

と、怒るエネルギーを使うのをやめて、とりあえず、その「中断(=雑巾を買う)」という新しい流れを、受け入れました。

自転車に乗って、100円ショップへ向かう。

でも、最短距離で行くのをやめてみたんです。「どうせ中断されたんだし」と、いつもは通らない、一本裏の道を選んでみました。

(=これが、岩を回り込む、新しい「フロー」です)

その裏通りは、古くからの商店街でした。シャッターが下りている店も多い中、ふと、一軒の小さな金物屋さんが目に入りました。

「うわ、なにここ。まだやってたんだ」

店先には、プラスチックの最新便利グッズではなく、昔ながらの「竹製のざる」や「アルミのたらい」、「亀の子たわし」なんかが、無造Aに並べられています。

目的の雑巾は、この先にある100円ショップで(ちゃんと)買いました。

でも、帰り道、さっきの金物屋さんが、どうにも気になって。

ふらふらと、吸い寄せられるように自転車を止め、店の中に入ってみたんです。

薄暗い店内には、ホコリをかぶった(失礼!)商品たち。

でも、手に取ってみると、その一つ一つが、すごく実直で、美しい。

ピカピカじゃない。むしろ、ちょっと歪んでいたり、色がくすんでいたりする。

でも、長年、人々の生活を支えてきたであろう「用の美」と「時間の経過(さび)」が、そこにはありました。

「わ……。これだ」

その瞬間、私の中で、何かがカチッと音を立てて繋がりました。

水しぶきが上がったんです。

「これ、ブログに書こう!」

SNSで流行りの「丁寧な暮らし」とか、「ミニマリスト」とか、そういうお洒落なものじゃない。

こういう、ちょっと古くさくて、完璧じゃないけど、ずっとそこにある「日常の道具」たち。

これこそが、私が伝えたかった「わびさび」の精神そのものじゃないか!

もし、あの日、息子が雑巾を忘れるという「中断」がなかったら?

もし、私がイライラして、最短距離で100均を往復するだけ(=元のレールに戻ろうとするだけ)だったら?

私は、あの金物屋さんに出会うことも、この「ひらめき」を得ることも、絶対にありませんでした。

「中断(disruption)」が、私をいつものレールから引きずり出し、強制的に新しい「フロー」に乗せた結果、予期せぬ「創造的な解決策(creative solution)」に導いてくれたんです。

もう一つ、短い例を。

<実体験2:焦げた玉ねぎと、娘の涙>

ある日の夕方。

「今日は完璧なハンバーグを作るぞ!」と意気込み、玉ねぎをみじん切りにして、さあ炒めるぞ、という時。

学校から帰ってきた娘が、玄関でワンワン泣いている。

「どうしたの!?」

「……友達と、ケンカした……」

来ました。「中断」の岩です。しかも、緊急性が高い。

以前の私なら?

「えー! 今!? 玉ねぎ炒めなきゃいけないのに!」

「ちょっと待ってて、これだけやっちゃうから!」

と、娘の涙より、フライパンの玉ねぎ(=私の完璧な計画)を優先していたかもしれません。

結果、娘の心は放置され、ハンバーグは(たぶん)美味しくできたでしょうが、夕飯の空気は最悪です。

今の私。

迷わず、コンロの火を止めました。玉ねぎは、フライパンの上で放置です。

(=完璧なハンバーグという「計画」を手放す)

「そっか、泣かないで。どうしたの?」

と、娘の隣に座り、じっくりと話を聞きました。(=中断という「フロー」を受け入れる)

30分後。娘もすっかり落ち着き、笑顔が戻りました。

さて、キッチンに戻ってみると……。

あ。火、止めたつもりだったけど、弱火のままだった……。

玉ねぎ、アメ色を通り越して、見事に焦げてました。

「あーーーーー……」

完璧なハンバーグの夢、ここで潰える。

一瞬、落ち込みました。

でも、ここで「わびさび」マインドです。

「まあ、いっか。焦げちゃったもんは、しょうがない」

「この焦げ玉ねぎ、どうしよう?」

捨てるのは、もったいない。

「……そうだ」

この焦げた玉ねぎ、コンソメスープの素と、カレー粉をちょっと足して煮込んでみたら?

即席で、「焦がし玉ねぎのオニオンスープ」もどきができました。

ハンバーグは諦めて、冷凍庫にあったソーセージを焼いただけ。

でも、食卓で。

娘が、そのスープを一口飲んで、

「ママ、これなに!? めっちゃ美味しい!」

と、満面の笑みになったんです。

完璧なハンバーグ(計画)は、作れませんでした。

でも、私は、娘の心のケア(今、最も大事なこと)を優先できた。

そして、「失敗(焦げ玉ねぎ)」から、「予期せぬ副産物(新しいレシピ)」が生まれた。

「中断」と「失敗」を受け入れたら、もっと大事なものと、予期せぬ「創造」が手に入ったんです。

これが、「バランス」ではなく「フロー」で生きる、ということです。

「わびさび」とは、この「岩」だらけの人生を、怒りや自己嫌悪で乗り切るのではなく、しなやかに受け入れ、流れ続けるための「人生術」なんです。

「邪魔しないで!」と岩に怒るんじゃなくて、

「お、岩だね。じゃあ、今日はどっちに流れようか?」

と、自分の「流れ」が変わることを、ちょっとだけ面白がってみる。

もちろん、言うは易し、行うは難し。

私だって、今でも雑巾を頼まれれば「キーッ!」となります。

でも、その後に、「あ、いかんいかん。これは“岩”だった」と思い直せるようになりました。

「完璧な計画通りに行かない日」は、「失敗した日」じゃない。

それは、「予期せぬ流れ(フロー)を体験した日」なんです。

じゃあ、具体的にどうやって、この「イライラ」や「完璧にこなしたい!」という「コントロール欲」を手放して、「まあ、いっか」と流れに乗る(フローする)ための「心の持ちよう」を身につければいいのか?

いよいよ、このブログも大詰めです。

次の「結」では、私が日々、意識的に実践している「コントロールを手放すための具体的なヒント(Actionable tips)」を、みなさんにお伝えして、この記事を締めくくりたいと思います。

4. 私の「わびさび・フロー」宣言:今日、手放してみること

(※ご要望に基づき、この「結」の部分だけで約3000文字で構成しています)

いやはや、ここまで、本当にお疲れ様でした!

そして、こんなに長い、私の「完璧じゃない」日常と、とりとめのない(笑)考察にお付き合いいただき、本当にありがとうございます。

「起」では、ピカピカの理想と、息子の水筒忘れや代引き訪問という「ぐちゃぐちゃな現実」とのギャップに、私たちがどれだけ息苦しさを感じているか、という問題提起をしました。

「承」では、その呪いを解くカギとして「わびさび」という哲学——つまり「完璧じゃないこと(わび)」や「移ろいゆくこと(さび)」を受け入れる考え方と、それによって「何もしない時間(余白)」が、アイデアを熟成させる「価値あるダウンタイム」に変わる、というお話をしました。

そして「転」では、最も手ごわい「敵」だと思っていた「予期せぬ中断(disruption)」こそが、実は「岩」であり、それにぶつかることで新しい「流れ(フロー)」や「創造性(水しぶき)」が生まれるチャンスなんだ、ということを、私の「雑巾事件」や「焦げた玉ねぎ事件」という、お恥ずかしい実体験と共にお話ししました。

「理屈はわかった」

「中断が創造の種になる、というのも、まあ、わかる」

「金物屋さんの話や、オニオンスープの話は、いい話だった」

「でもね」

「でも、わかっちゃいるけど、できないのよ!!!」

という声が、画面の向こうから聞こえてくるようです。

ええ、わかります。100回、いや1万回うなずきます。

だって、そうでしょう?

「わびさび」の精神が素晴らしいと頭で理解することと、

目の前で牛乳をこぼされて(また中断!)、カッチーン!と来ている自分の感情をコントロールすることは、まったくの別問題です。

私たちがイライラするのは、「中断」そのものに対して、というよりも、

「自分の計画(コントロール)通りに進まないこと」

に対する苛立ちです。

もっと言えば、

「私は、これくらい完璧に管理(コントロール)できるはずなのに」

「私は、デキる主婦、デキる母、デキるワーカーであるはずなのに」

という、「かくあるべし」という**「完璧な自分」の理想像(エゴ)**が、現実によって裏切られるから、カッとなる。

そう。最後の関門は、この**「すべてをコントロールしたい」という強烈な欲求を手放すこと**なんです。

これが、言うは易し、行うは難し。

「手放せ」と言われて、パッと手放せるくらいなら、誰も苦労しません。

じゃあ、どうすればいいのか。

私も、まだまだ、まだまだ道半ばです。今朝も「なんで靴下が片っぽ無いのよ!」と小さな岩にぶつかってイラっとしました(笑)。

でも、そんな私でも、昔の「生産性モンスター」だった頃に比べて、格段に「まあ、いっか」と思える回数が増えました。

それは、意識的に「手放す練習」をしているからです。

今日は、このブログの本当に最後に、私が日々実践している、**「コントロールを手放し、“まあ、いっか”を受け入れるための、超・具体的なヒント(Actionable tips)」**を、みなさんにお渡ししたいと思います。


【私が実践する「わびさび・フロー」のための3つの小さな習慣】

これは、悟りを開くための修行じゃありません。日々のイライラを、ほんの少し「まし」にするための、地味だけど効く「心の筋トレ」だと思ってください。

1. 「魔法の言葉」で、5秒の「余白」を作る

「ママ、雑巾!」

「あ、牛乳こぼした!」

「(夫から)今日、飲み会になった!」

「中断」の岩が、ゴツン!とぶつかってきた瞬間。

私たちの頭に血が上り、「キーッ!」となるまでの時間って、たぶんコンマ数秒ですよね(笑)。

この「コンマ数秒」に、無理やり「待った!」をかける。

反応する前に、たった5秒でいいから、「間(ま)」を作るんです。

その「間」を作るための「魔法の言葉」を、あらかじめ決めておきます。

私の場合、これです。

「お、そう来たか」

あるいは、

「まあ、いっか」

(たったこれだけ? と思いました? たったこれだけです)

息子が「雑巾!」と言った瞬間、反射的に「はぁ!?」と怒鳴る代わりに、

まず、息をふーっと吐きながら、心の中(あるいは、小さな声)でつぶやく。

「(うわ、またかよ…)お、そう来たか」

と。

不思議なもので、このワンクッションを置くだけで、怒りの沸点が、100度から95度くらいに、ほんの少し下がるんです。

「敵だ!」と戦闘態勢に入る前に、「はいはい、岩ですね」と、客観的に「事象」として受け止める「心の余白」が、その5秒で生まれます。

この「余白」こそが、「わびさび」です。

怒らない人になる必要はないんです。怒るまでの時間を、5秒だけ遅らせてみる。

「コントロールできない!」とパニックになる前に、「コントロールできない事態が起きたね、さて、どうしようか」と考える「フロー」に乗り換える、最初のスイッチです。

2. 「今日の完璧」を手放す。「今日のゴールは一つだけ」ルール

私たちが「コントロール欲」を手放せない大きな理由は、「今日のタスクリスト」が完璧すぎるからです。

  • 朝イチでメールを全部返す
  • 企画書をA案B案作る
  • 銀行に振り込みに行く
  • 夕飯の完璧なハンバーグを作る
  • 子どもを笑顔で寝かしつける
  • 床をピカピカに磨く

……無理です(笑)。

こんなリストを掲げているから、一つ「中断」が入っただけで、すべてが崩壊した気になって「私、ダメだ!」と自己嫌悪に陥る。

だから、手放します。

「完璧な一日の理想」を手放す。

そのために、私は「今日のゴールは一つだけ」ルールを実践しています。

朝起きたら、

「今日、これさえ達成できたら、私、花マル!」

という**「真のゴール(最重要タスク)」**を、たった一つだけ、決めます。

それは、「仕事の企画書を提出する」かもしれないし、

「転」の娘の例で言えば、「娘の話を、ちゃんと聞く」かもしれません。

もし「企画書提出」が「真のゴール」だったなら。

たとえ、息子の雑巾事件が起きようが、夕飯が焦げた玉ねぎスープ(笑)になろうが、床がザラザラしてようが、

「企画書が出せたんだから、今日、私、花マル!!」

と、自分を許せるんです。

これが、「わびさび」的・「アンバランス(不均衡)」の受け入れ方。

毎日、すべての項目で100点(バランス)を目指さない。

「今日は、ここだけは100点取った。他は30点でも、まあ、いっか」

と、自分を許す。

「コントロールすべきこと」の総量を、劇的に減らすんです。

3. 「Kintsugi(金継ぎ)」マインドで、一日を閉じる

「わびさび」の美学と非常に近いところに、「金継ぎ(きんつぎ)」という日本の素晴らしい修復技術があります。

割れてしまった器を、漆(うるし)と金(きん)でつなぎ合わせる。

その「割れたヒビ(=失敗、中断)」を、隠すんじゃなくて、あえて「金」で美しく際立たせる。「その傷こそが、この器の新しい景色(個性)だ」と愛でる文化です。

私たちの一日も、同じだと思いませんか?

完璧なスケジュールを立てても、必ず「割れ」ます。

子どもに怒鳴ってしまったり(自己嫌悪)、仕事でミスしたり(落ち込む)、計画が台無しになったり(焦げた玉ねぎ)。

その「割れた一日」を、「ああ、今日は失敗だった」とゴミ箱に捨てる(自己嫌悪で終わる)のは、もうやめましょう。

夜、寝る前に、その日の「ヒビ」を思い出して、そこに「金」を塗る作業をするんです。

「息子に怒鳴っちゃったな(ヒビ)。……でも、その後、ちゃんと“ごめんね”って抱きしめられたな(金)」

「雑巾事件で計画台無しになった(ヒビ)。……でも、おかげで、あの素敵な金物屋さんを見つけたな(金)」

「完璧なハンバーグは作れなかった(ヒビ)。……でも、娘が“スープ美味しい”って笑ってくれたな(金)」

どうでしょう?

「失敗だらけの最悪な一日」が、

「いろいろあったけど、金色のヒビが美しい、私だけの一日」

に、見えてきませんか?

「コントロールできなかった」という「失敗」は、「金継ぎ」によって、「ユニークな経験」という「価値」に変わります。

これが、「完璧なバランス」を手放し、「崩れたこと」すら受け入れる、究極の「わびさび・フロー」です。


【結びの代わりに:完璧じゃない、あなたへ】

ここまで、私の長い長いブログにお付き合いくださり、本当にありがとうございました。

海外という、日本にいる時とはまた違う緊張感の中で、日々、「完璧」であろうと頑張っている主婦のみなさん。

そして、日本の文化に興味を持ち、「わびさび」という不思議な言葉に触れてくださったみなさん。

「わびさび」の精神は、決して「諦め」や「手抜き」を推奨するものではありません。

むしろ、逆です。

コントロールできない現実(岩)に、いちいち怒ったり、落ち込んだりして、自分の「流れ」を止めてしまうのではなく、

「お、そう来たか」としなやかに受け流し、

「まあ、いっか」と(どうでもいい)計画を手放し、

「このヒビは、私の“金”になる」と、失敗すらも自分の糧にして、

しぶとく、しなやかに、流れ続ける——。

それって、ものすごく「強く」て、「クリエイティブ」な生き方だと思いませんか?

完璧な「ワークライフ・バランス」なんて、目指さなくていい。

私たちは、天秤の上で静止した「置物」じゃないんですから。

私たちは、岩にぶつかり、水しぶきを上げ、時にはよどみ、それでも海に向かって進み続ける「川(フロー)」そのもの。

ピカピカじゃなくていい。

ちょっと欠けてて、ヒビが入ってて、ぐちゃぐちゃで。

でも、それが、あなたが一生懸命に生きてきた「証(あかし)」。

それこそが、世界で一番美しい「わびさび」です。

さあ、明日から、いえ、今日この瞬間から、

「完璧な私」になるのは、やめてみませんか?

その代わり、世界で一番「味のある」私を、一緒に目指していきましょう。

コメント

タイトルとURLをコピーしました