「傷」だらけの子育てに、金色の輝きを。〜失敗を「価値」に変える、日本の「金継ぎ子育て」のすすめ〜

割れたお皿と、完璧じゃない私たち

(※起承転結の「起」の部分です)

「あーーーーっっ!!!」

先日、やってしまいました。

もう、本当に、キッチンの床に崩れ落ちるかと思うくらいショックな出来事が。

それは、私のお気に入りのコーヒーカップ。結婚する前に、夫と旅行先で買った、ちょっとだけ奮発したペアのマグカップです。ぽってりとした厚みと、手に馴染む独特の青色が大好きで、毎朝の「自分時間」には欠かせない相棒でした。

その日、私は少し寝坊してしまいました。子供たちを送り出す準備でバタバタしていて、朝食の洗い物を急いで片付けていたんです。

「早くしなきゃ!」と焦る手元が滑り、その「相棒」は、シンクの角に「カツン」と乾いた、嫌〜な音を立てました。

恐る恐る手に取ると、見事なまでに、持ち手の付け根から真っ二つ。

「……終わった。」

大げさじゃなく、本当にそう思いました。

海外に住む皆さんも経験ありませんか?「完璧」だったものが、自分の不注意で「壊れて」しまった時の、あの絶望感。

「あーあ、やっちゃった」「もう使えない」「捨てるしかないか……」

もちろん、たかがカップです。また新しいものを買えばいい。機能で言えば、100円ショップでもっと使いやすいものが手に入るかもしれない。

でも、違うんですよね。

あの旅行の思い出、毎朝コーヒーを淹れた時間、その全てが詰まった「私だけのカップ」だったんです。その「完璧な思い出」ごと、ゴミ箱行きになってしまうような気がして、本当に落ち込みました。

多分、以前の私なら、泣く泣く新聞紙に包んで、燃えないゴミの日に出していたと思います。

「壊れたもの=価値がなくなったもの」

それが、私のスタンダードな考え方でした。

でも、その時、ふと頭をよぎったのが**「金継ぎ(きんつぎ)」**という言葉でした。

皆さんは「金継ぎ」をご存知ですか?

名前の通り、「金(きん)」で「継ぐ(つぐ)」。

割れたり欠けたりした陶磁器を、漆(うるし)を使って接着し、その継ぎ目をあえて「金」や「銀」で装飾して仕上げる、日本の伝統的な修復技法のことです。(※1)

金継ぎのことを知ってはいたものの、どこか「高価な骨董品を直す、職人さんの世界」だと思っていました。

でも、割れたカップを前に、私は改めてスマホで「金継ぎ」を検索してみたんです。

そこに映し出されたのは、私の想像とはまったく違う世界でした。

割れた器の「傷跡」が、隠されるどころか、美しい「金色の線」となって、むしろ堂々と輝いている。その金色の線は、まるで器の新しい「景色」や「デザイン」のよう。

金継ぎの哲学は、単なる「修理」じゃないんです。

それは、**「壊れてしまったという事実(=傷)を受け入れ、その傷ごと愛し、むしろ、その傷があるからこそ、前よりもっと価値のある、唯一無二のものです」**と宣言するような考え方でした。(※2)

新品の、ツルンとした「完璧」な状態よりも、一度壊れて、そこから蘇った「傷跡」を持つ姿の方が、より深く、より美しい。

これって、すごくないですか?

「失敗」や「欠点」を、なかったことにしたり、隠したりするんじゃない。

「ああ、ここで割れちゃったんだね」と、その歴史を丸ごと受け止めて、そこに「金」というスポットライトを当てる。

私は、割れたカップの破片を握りしめながら、しばらくその金継ぎされた器の写真たちを眺めていました。

「捨てるしかない」と思っていた絶望が、ふっと軽くなるのを感じました。

このカップも、この「割れた」という経験を経たからこそ、もっと愛おしい存在になれるかもしれない。

……と、そこまで考えて、私、ハッとしたんです。

「あれ? こ れって、子育てとめちゃくちゃ似てない?」

毎日毎日、私たち「ママ」が直面していること。

子供がテストで悪い点を取ってきた。

お友達とケンカして、泣かせてしまった。

習い事を「もう辞めたい」と言い出した。

言うことを聞かなくて、つい感情的に怒鳴ってしまった……。

子育ても、日常も、「失敗」や「うまくいかないこと」だらけ。

そのたびに、私たちは「ああ、完璧な子育てができなかった」「うちの子、大丈夫かな」「私、ダメな母親だ」と、自分や子供にできた「傷」や「欠点」を見ては落ち込みます。

そして、その傷をなんとか隠そうとしたり、見ないようにしたり、なかったことにしようと必死になる。

「完璧な家族」という幻想に囚われて、SNSで見る「完璧なママ」と自分を比べて、勝手に焦ったり。

でも、もし。

もし、あの「金継ぎ」の考え方を、そのまま子育てに応用できたら?

子供が経験した失敗という「ヒビ」。

私自身が母親としてやらかしてしまった「欠け」。

それらを「恥ずかしいもの」「隠すべきもの」として扱うのではなく、

**「この経験があったからこそ、あなたは強くなれる」「この失敗が、あなたの魅力を深くするんだよ」**と、親子でその「傷」に金色のスポットライトを当てることができたら。

子供の「失敗」という傷跡は、やがて「レジリエンス(立ち直る力)」や「深い思いやり」という、誰にも真似できない「金色の輝き」に変わっていくんじゃないか?

私は割れたカップをそっとテーブルに置き、子供たちの部屋を眺めました。

これが、私が「金継ぎ子育て(Kintsugi Parenting)」という考え方に出会った瞬間です。

このブログでは、この「失敗」を「価値」に変える日本の知恵を、どうやって日々のドタバタな子育てに取り入れていくか、私の実体験とともにお話ししていきたいと思います。

「失敗」は隠さない。それが「景色」になる。

(※起承転結の「承」の部分です)

「起」でお話しした、割れたカップと「金継ぎ」との出会い。

あの時、私がハッとしたのは、**「私たちは、なんて“完璧”であろうと必死なんだろう」**ということでした。

ここ日本で生活していると(そして、海外で「日本人」として生活されている皆さんも、もしかしたら)、どこかで常に「ちゃんとしないと」というプレッシャーを感じていませんか?

「母親なんだから、常に笑顔で、栄養バランスの取れた食事を作って、子供の教育にも熱心で……」

「子供は、素直で、成績優秀で、お友達とも仲良くできて、スポーツも万能で……」

もちろん、それが理想であることは分かっています。

でも、現実はどうでしょう?

朝は低血圧で起きられないし、昨日の残り物で「ごめん!」ってなる日もあるし、子供は言うこと聞かないし、宿題やらないし、兄弟ゲンカは日常茶飯事。「こらー!」と怒鳴った5秒後には、「あーあ、また怒っちゃった……」って自己嫌悪。

毎日が「失敗」と「反省」の連続です。

この「完璧じゃなきゃいけない」という呪縛は、すごく強力です。

特に、子育てにおいては、「子供の失敗=母親の失敗」みたいに捉えがちな空気、ありませんか?

子供がテストで悪い点を取ると、「私の教え方が悪かったのかしら」

子供がお友達とトラブルを起こすと、「私のしつけが……」

だから、私たちは必死になって、その「失敗」や「欠点」という「傷」を隠そうとしてしまうんです。

「悪い点数は、見なかったことにして、次頑張ればいいから(でも、本当はすごくガッカリ)」

「お友達とのトラブルは、親が先回りして謝って、なるべく穏便に済ませて(本当の原因を、子供と深く話す前に)」

まるで、割れたお皿の破片をこっそりゴミ箱に捨てるように。

「この子の経歴に、傷がつかないように」

「ダメな親子だって、思われないように」

そうやって、ヒビや欠けを、なるべく人目につかないように、奥へ奥へと隠してしまう。

でも、金継ぎの哲学は、その真逆でしたよね。

「傷を隠さない。むしろ、そこにこそ光を当てる」

これが、「金継ぎ子育て」のめちゃくちゃ大事なポイントなんです。

たとえば、うちの長男が小学校低学年の頃の話です。

当時、彼は「忘れ物」の常習犯でした。もう、毎日。「給食袋忘れた」「体操着忘れた」「連絡帳出すの忘れた」。

最初の頃、私は「完璧な母親」であろうと必死でした。

朝、玄関で「持ち物チェックリスト」を片手に、私が最終確認。「はい、ハンカチOK!」「連絡帳OK!」と、彼のランドセルに詰め込む。

彼が忘れないように、私が彼の「完璧」を請け負っていたんです。

でもある日、ついにやらかしました。

夏休みの最終日、夕飯を食べてくつろいでいた時に、彼が青い顔で言ったんです。

「……ママ。夏休みの、絵日記、一枚もやってない」

血の気が引きました。

あの瞬間、私の中に「完璧主義の鬼」が降臨しました(笑)。

「はぁ!?なんで言わなかったの!」「もう寝る時間でしょ!」「どうすんのよ!」

怒涛の勢いで彼を責め立てました。

彼が「失敗」したこと。

そして、その「失敗」に気づけなかった私自身の「失敗」。

この二重の「割れ」が、私には耐えられなかった。

その夜、どうしたと思いますか?

……はい。私が、やりました。

泣きじゃくる息子の横で、「一言日記でいいから!」と鬼の形相で書かせ、絵は「ママが塗っとくから!」と、私が雑な(でも必死な)クレヨン画を描き上げました。

最悪ですよね(笑)。

私たちは、その「失敗」という「傷」を、**「やっつけ仕事で隠蔽した」**んです。

息子は、何を学んだでしょう?

「ヤバくなったら、ママがなんとかしてくれる」

「失敗は、怒られるし、恥ずかしいから、バレないようにするのが一番」

彼は、その「傷」から、何も学ばなかった。

そして私も、「息子の失敗を、自分の失敗として恥じる」という呪縛から抜け出せなかった。

これは、金継ぎとは真逆の、「ボンドで雑にくっつけて、上から白い絵の具を塗って隠した」ようなものです。脆いし、すぐまた同じところが壊れます。

もし、あの夜の私に、「金継ぎ子育て」の視点があったら。

まず、私は深呼吸したでしょう。

そして、息子の「やばい」という感情を、丸ごと受け止める。

「そっか。一枚もやってなかったか。それは、今、めちゃくちゃ焦ってるね」

(↑これが、割れた破片を拾い集める作業)

次に、彼と一緒に「なぜそうなったか」を考える。

「なんで、今日までやろうと思わなかったんだろうね?」

「『明日やろう』って思ってるうちに、忘れちゃった感じ?」

(↑これが、漆で接着する作業=原因の分析)

そして、どうするか。

「もう今からは全部できない。じゃあ、明日の朝、先生に正直に話そう」

「『忘れてました。いつまでなら待ってもらえますか?』って、自分で聞ける?」

「そして、どうやったら次の休みは忘れないか、一緒にカレンダーに『絵日記の日』って書いとこうか」

(↑これが、傷跡に「金」を蒔く作業=学びと対策)

もちろん、息子は翌日、先生にめちゃくちゃ怒られたと思います。

恥ずかしかったでしょう。

でも、その「恥ずかしかった」「ヤバかった」という**「傷跡」は、彼が「自分で先生に謝って、期限を交渉した」という経験と、「計画を立てる」という新しい知恵によって、「金色の線」**に変わったはずなんです。

その「傷」は、もう「恥ずかしい失敗」ではありません。

それは、彼が「時間管理」と「責任感」という、生きる上でめちゃくちゃ大事なスキルを手に入れた証。

その「景色」こそが、彼を強く、しなやかにする。

「完璧」であろうとして、親が先回りして失敗を隠蔽してしまうと、子供はいつまでも「ツルン」としてはいるけれど、ちょっとした衝撃でポッキリ折れてしまう「脆い」状態のままです。

でも、失敗を恐れず、失敗したら「ラッキー!金継ぎのチャンスじゃん!」と親子で笑い飛ばす。

その傷跡を「どうやって金色にしようか?」とワクワクする。

そうやってできた「傷=学び」の線がたくさん入った子育ては、新品の器にはない、深くて、温かい「味」や「景色」になっていく。

海外という、日本とは違う環境で、日本にいた時以上に「ちゃんとしなきゃ」と頑張っているママさんたち。

大丈夫。

私たち、もっと「割って」いこうじゃありませんか(笑)。

その「割れた」経験こそが、海外生活でしか手に入らない、一番「価値ある」金色の線になるんですから。

最強の金継ぎは、親が「ごめんね」と言う勇気

(※起承転結の「転」の部分です)

さて、「承」では、子供の「失敗(=傷)」を、学びの「景色(=金色の線)」に変えていこう!という、ちょっと前向きな話を書きました。

息子の宿題忘れを例に出して、「こうすれば良かったよね〜」なんて、我ながら偉そうに語ってしまいました(笑)。

……でも、正直に告白します。

現実は、そんなにキレイごとじゃありません。

「あら、失敗しちゃったの? よーし、金継ぎのチャンスよ!」

なんて、毎日ニコニコしていられるわけがない。

子育てって、もっと泥臭くて、混沌としていて、感情的ですよね。

特に、海外という慣れない土地で、ワンオペ育児に近い状況で頑張っているママさんなら、なおさらだと思います。

子供の失敗より、もっと厄介なもの。

それは、**「私たち親自身の、コントロールできない感情的な失敗」**です。

私にも、思い出しただけで胃がキリキリするような「大破」の思い出があります。

それは、下の子がまだイヤイヤ期の真っ只中だった頃。

その日、私は朝から体調が優れず、頭痛がしていました。でも、家事は待ってくれない。上の子の学校の準備もある。イライラが、私の中でマグマのように溜まっていました。

そこへ、下の子が牛乳の入ったコップを、わざと(と私には見えた)床にひっくり返したんです。

ニヤッと笑いながら。

その瞬間、私の何かが「ブチン」と切れました。

気づいた時には、私は子供に向かって、生まれてこのかた出したこともないような大声で怒鳴り散らしていました。

「いい加減にしなさいっ!!!」

何を言ったか、全部は覚えていません。

ただ、自分の怒りを、力の限り、まだ幼い子供に叩きつけていた。

ハッと我に返った時、子供は床にこぼれた牛乳の前で、体をカチコチに硬直させ、声を出すこともできず、ただ大粒の涙をボロボロと流していました。

その目は、私を「怖いもの」として、怯えて見ていました。

「あ……。終わった」

「起」で書いた、カップを割った時の絶望とは比べ物にならない、本当の絶望が私を襲いました。

これは「ヒビ」や「欠け」じゃない。

私が、私自身の「母親」という器を、そして、子供との「信頼関係」という何より大切な器を、修復不可能なレベルで粉々に「大破」させてしまった、と感じたんです。

「金継ぎ」どころじゃない。

「私、母親失格だ」

「この子の心に、一生消えない傷をつけてしまった」

「もう、あの頃の笑顔で『ママ大好き』って言ってもらえないかもしれない」

自己嫌悪と後悔で、頭が真っ白になりました。

その場で一緒に泣き崩れたかったけれど、あまりのショックに、私はただ立ち尽くすことしかできませんでした。

こういう時、私たち親が取りがちな行動って、いくつかパターンがあると思うんです。

  1. 隠蔽(なかったことにする):気まずさから、何も言わずに黙って床を拭き、無理やり日常に戻ろうとする。
  2. 正当化(相手のせいにする):「あなたが牛乳こぼすからでしょ!」「ママを怒らせるのが悪いの!」と、自分の非を認めず、さらに子供を責める。
  3. 放置(諦める):「もういい……」と、子供との関係修復を諦め、距離を置いてしまう。

これらは全部、「金継ぎ」とは真逆の行為です。

粉々になった破片を、見ないふりしてカーペットの下に隠したり、相手に投げつけたりするようなもの。

金継ぎの第一歩は、なんでしたっけ?

そう。**「割れたという事実を、ありのままに見つめ、破片を一つ残らず拾い集めること」**です。

私は、震える子供の前にしゃがみ込みました。

そして、粉々になった破片=「私が怒鳴った事実」と「子供が怯えている事実」を、真正面から見つめることにしました。

まず、一番大きな破片を拾い上げます。

「ごめんね。……ママ、すごく大きな声で怒鳴っちゃった。怖かったよね。本当にごめん」

これが、親にできる、最強の「漆(うるし)」です。

「接着」の第一歩。

プライドも、「しつけ」という名の正当化も、全部捨てる。

ただ、一人の人間として、自分の過ちを認めて謝る。

子供は、まだ怯えた目で私を見ています。

次に、なぜそうなったのか、という破片を拾い集めます。

「ママね、今日は頭が痛くて、イライラしてたんだ。そこに、〇〇ちゃんが牛乳をこぼしたから、びっくりして、悲しくて、感情が爆発しちゃった」

これは「あなたのせい」という正当化(=2)ではありません。

「私(I)」を主語にして、私の状態と感情を説明する「アイメッセージ」です。

「あなたは(You)悪い子だ」ではなく、「私(I)は悲しかった」。

「でもね、どんなにイライラしてても、あんな風に怒鳴っちゃいけなかった。ママが悪かった」

(↑これが、歪んだ破片をヤスリで削るように、自分の非を明確にする作業)

そして、最後に、ここに「金」を蒔きます。

これが「修復」であり、「再生」への一歩です。

「これからは、ママもイライラしたら、『今ママ、イライラしてるから!』って先に言うようにする。〇〇ちゃんも、もし何かこぼしちゃったら、『ママ、ごめん』って言って、一緒に拭くのを手伝ってくれると嬉しいな。……もう一回、仲直りしてくれる?」

子供は、ポカンとした顔をしていました。

そして、次の瞬間、わっと声を上げて私に抱きついてきました。

「ママ、ごめん!」「ママ、こわかった!」

私たちは、牛乳まみれの床で、二人で抱き合ってワンワン泣きました。

この時、子供が学んだことは何でしょう?

「牛乳をこぼしたら、ママが鬼になる」ということでしょうか?

違います。

彼は、

「人は、間違うことがある(ママでさえも)」

「間違ったら、どんなにカッコ悪くても、『ごめんね』と謝ることができる」

「謝ったら、ちゃんと許してもらえる」

「関係は、壊れても、またやり直せる」

という、**人生で最も大切な「金継ぎの方法」**そのものを、体験したんです。

私たちが子供に見せるべきなのは、「完璧で、決して間違わない親」の姿ではありません。

そんなの、幻想だし、子供にとってもすごいプレッシャーです。

私たちが見せるべきなのは、**「失敗しても、不格好でも、そこから逃げずに、誠実にやり直そうとする姿」**です。

親が自ら「大破」を認め、それを「ごめんね」と「ありがとう」と「次への約束」で金継ぎする姿を見せること。

その「金色の線」は、子供の心に「レジリエンス(立ち直る力)」と「人を許す力」という、何よりも強い輝きを刻み込みます。

完璧な親子関係なんて、目指さなくていい。

傷だらけでも、ヒビだらけでも、その都度「ごめんね」と「大好きだよ」で継ぎ合っていけばいい。

そうやってできた「傷跡」だらけの関係は、新品のツルツルの関係なんかより、ずっと強くて、しなやかで、美しい「景色」を持っている。

海外で、日本にいる時よりも孤独を感じ、「完璧なママ」を演じなきゃと肩に力が入っている皆さん。

大丈夫。

私たち、もっと「失敗」していいんです。

そして、子供の前で、堂々と「金継ぎ(=ごめんね)」をしようじゃありませんか。

あなたの「傷」は、世界で一番うつくしい。

(※起承転結の「結」の部分です)

「起」で私のお気に入りのカップが割れた話から始まり、「承」で子供の失敗、「転」では私自身の感情的な大爆発(!)と、このブログでは「失敗」と「傷」だらけのドタバタな日常をお届けしてきました。

ここまで読んでくださった皆さんは、もうお分かりですよね。

私が提案したい**「金継ぎ子育て(Kintsugi Parenting)」**とは、決して「子供を完璧に育てるためのテクニック」ではありません。

むしろ、その逆。

「もう、完璧を目指すの、やめませんか?」

という、私から皆さんへの、そして私自身への「呪い」を解くための、ささやかな提案です。

私たちは、いつの間にか「ピカピカの新品の器」であることに価値を置きすぎていたのかもしれません。

傷一つない、ツルンとした表面。

欠点のない、非の打ち所のない「完璧な家族」。

SNSを開けば、そんな「理想の家族」の写真が溢れています。

手の込んだお弁当、知育に良さそうなおもちゃで遊ぶ子供、いつも笑顔のママ。

それに比べて、うちの食卓は昨日の残り物だし、子供はゲームばっかりだし、私は眉間にシワ寄せっぱなしだし……。

「ダメだ、私、ちゃんとできてない」

「うちの子、このままで大丈夫かな」

そうやって、自分や家族に「ヒビ」が入ることを極端に恐れ、もし「ヒビ」が入ってしまったら、それを「恥ずかしいもの」「隠すべきもの」として、必死で隠蔽しようとしてきた。

でも、金継ぎの哲学は、私たちに教えてくれます。

**「傷は、恥じゃない。その器が生きてきた、歴史そのものだ」**と。

子供が宿題を忘れて先生に叱られた「傷」。

お友達とケンカして、泣いて、仲直りした「傷」。

親に理不尽に怒鳴られて、怯えて、でも「ごめんね」で抱きしめ合った「傷」。

その一つ一つの「傷」は、その子が、その家族が、その瞬間を必死に生きて、乗り越えてきた「証(あかし)」です。

それは、新品の器には絶対に持ち得ない、深みであり、強さであり、そして「美しさ」なんです。

その「傷跡」に、「学び」や「許し」や「絆」という「金」を丁寧に蒔いていく。

そうやって、ヒビだらけ、傷だらけになった器(=家族)は、世界中のどこを探しても見つからない、**「私たちだけの唯一無二の作品」**になっていく。

これって、すごく勇気が出ませんか?

「失敗してもいいんだ」

「完璧じゃなくていいんだ」

「この傷があるからこそ、私たちはもっと強くなれるんだ」


そして、この「金継ぎ」の考え方は、特に、海外という日本とはまったく違う環境で子育てをされている皆さんの、強い「お守り」になるんじゃないかと思っています。

日本で「当たり前」だったことが、一歩外に出ればまったく通用しない。

言葉の壁。文化の壁。

「ママ友」との距離感の違い。

「日本人」として、どこか「ちゃんとしなきゃ」と見られているようなプレッシャー。

お子さんだって、そうです。

現地校で、言葉が分からず、悔しい思いをしているかもしれない。

「みんなと違う」という「ヒビ」に、一人で耐えているかもしれない。

日本にいる時よりも、ずっと「割れやすい」状況に、皆さんは立っているんだと思います。

孤独を感じる夜も、全部投げ出して日本に帰りたくなる日も、きっと一度や二度じゃないですよね。

本当にお疲れ様です。

でも、その「海外でしか経験できない困難」こそが、皆さんのご家族にとって、最大の「金継ぎ」のチャンスなんです。

言葉が通じなくて悔しかった「傷」は、諦めずに伝えようと努力した「金色の線」になる。

文化の違いに戸惑った「傷」は、多様性を受け入れるという「金色の線」になる。

親子でぶつかり合い、日本の「普通」が通用しない中で、新しい家族のルールを見つけていった「傷」は、他の誰にも真似できない、たくましくてしなやかな「金色の線」になる。

そうやって、海外生活という荒波の中で、割れて、継いで、また割れて、を繰り返して出来上がった皆さんの「家族の器」は……。

日本にずっといたら決して手に入らなかったであろう、複雑で、力強くて、信じられないほど美しい「景色」を持っているはずです。

どうぞ、胸を張ってください。

あなたの家族が持つ「傷」は、あなたがたが異国の地で必死に戦い、学び、愛し合ってきた「勲章」です。


……さて。

長々とお話ししてきましたが、最後に、あの「起」で割ってしまった、私の愛するコーヒーカップの「その後」を、ご報告させてください。

あの日、「金継ぎ子育て」という考え方にたどり着いた私は、その勢いで、ネットで「金継ぎ初心者キット」をポチってしまいました(笑)。

届いた箱を開けると、そこには「漆(うるし)」だの「砥の粉(とのこ)」だの「真鍮粉(しんちゅうふん)」(※金は高かったので、まずは練習用です!)だの、見慣れない道具がいっぱい。

説明書を読んだだけで、「うわ、面倒くさそう……」と一瞬くじけそうになりました。

そう、金継ぎって、すごく時間がかかるんです。

漆を塗っては乾かし、削ってはまた塗り……。

割れた破片が、すぐにピタッとくっつくわけじゃない。

何度も何度も、焦らず、丁寧に、その「傷」と向き合う時間が必要なんです。

これって、本当に「子育て」そのものですよね。

子供の「失敗」も、親子の「すれ違い」も、魔法のように一瞬で解決したりしない。

「ごめんね」と言った後も、何度も話し合い、お互いの気持ちを確かめ合い、時間をかけて、ゆっくりと、その「傷」を「絆」に変えていく。

私も、日本という場所で、海外で頑張る皆さんとはまた違う「生きづらさ」や「プレッシャー」と戦いながら、日々、子供たちや夫との関係を「金継ぎ」している真っ最中です。

割っては「あー!」と叫び、また拾い集めては「ごめんね」と継いでいく。

その繰り返しです。

私のあのカップが、いつかまたコーヒーを飲める器として蘇るかどうか。

正直、自信はありません(笑)。不格好な「景色」になるかもしれない。

でも、それでいいと思っています。

その「不格好さ」こそが、私が初めて「失敗を受け入れる」という挑戦をした、愛おしい「傷跡」になるんですから。

海外で頑張る主婦の皆さん。

今日、何か「割って」しまいましたか?

子供の失敗に、イライラしてしまいましたか?

「完璧なママ」になれなくて、落ち込んでしまいましたか?

大丈夫。

その「傷」は、あなたの家族がもっと美しく、もっと強くなるための「始まり」です。

さあ、一緒に、その「傷」に、世界で一番うつくしい「金色の線」を描いていきましょう。

コメント

タイトルとURLをコピーしました